【Life】「シアワセ人生とは、ナットク人生」だと思う。
「幸せな人生って、どんな人生?」
なんて途方もないことを考えてみたことがあります。
3人くらいでプレゼンの練習会を催して、切磋琢磨していた学部3年生くらいのことです。
その時の考え、議論がベースとなり、僕の中でこういう人生が幸せな人生だろうという暫定的な自論を持っています。
「幸せな人生とは、死ぬときに今までの生き方に納得のいく人生である」
というものです。
1. 満足のいく人生、後悔のない人生が「幸せな人生」だと思っていた
僕は当初、「満足のいく人生」や「後悔のない人生」が幸せな人生だと考えていました。
僕は幸せになりたいので、あらゆることに満足いくように、どんなことでも後悔しないように生きていこうとしていました。
それ、できますか?
少なくとも僕はできませんでした。
時には満足のいかない結果に終わることもあるし、後悔なんて日々絶えることはありません。
確かに、自分の人生に満足できて後悔がなければ幸せです。
でも、現実的に考えてそんな生き方は無理だと判断しました。
つまり、僕は幸せな人生を「満足のいく人生」や「後悔のない人生」と定義することで、「幸せな人生」を送ることができていなかったのです。
そこで、僕は考え直すことにしました。
「幸せな人生」の定義は、僕にも今からでも達成できるものにしようと。
でないと、幸せになることはできないからです。
2. 不満足や後悔があっても受け入れる
僕は考えました。
人生において不満足や後悔が生まれることを止めることはできない、ならばどうしたらいいか?
それらを受け入れること。
というのが今の僕の暫定解です。
満足のいかない結果に対しても、後悔に対しても、「仕方ない」と思うことができれば受け入れられると思うのです。
どんなことに対しても「仕方ない」と思うことは、仰々しく言うと「運命を認め、受け入れる」ということですよね。
それは運命だから仕方ない、と。
でも僕は、運命だからとか、才能だからとか、頭が良いからとか、生まれ持ったものだけで決めてしまうのは好みません。
ある程度は努力や環境といった自分で磨いたり、選んだりできるもので結果を変えられると考えています。
なので、「どんな結果も受け入れる」という考えには合点が行きましたが、「ただただ受け入れる」という受け身の姿勢を認めることはできませんでした。
3. やることをやった上で、その結果を受け入れる
どんな結果も受け入れるが、受け身は嫌だ。
そんなわがままを叶える考え方、幸せな人生の定義はないかと探していました。
「納得のいく生き方をすること」
これなら、そんなわがままを満たすことができるのではないかと思い立ちました。
努力はする、その結果が望んでいたものならそれで良いですね。
そうでなくとも「できる努力はやったから仕方ない」と思うことができれば、不満足を受け入れることができるし、後悔することもありません。
やるだけのことはやった上での結果を、そのまま受け入れる。
それを表す言葉が「納得」でした。
4. 「ナットク人生」を過ごすには、「考えること」が必要
「幸せな人生とは、納得のいく生き方のできた人生だ」
という考え方が、今の僕には腑に落ちています。
スットンと。
では、そのような「納得のいく人生」を生きるにはどうすればよいのでしょうか。
一言でいうと、それは「考えること」だと思います。
「人生の岐路において選択を迫られたとき、自分の選択に納得するためにはどうしたらよいか」という視点で考えました。
その答えは、考えうる選択肢を吟味すること、つまり考えることです。
その過程では、インターネットや人脈を活かした情報収集や、世の中の動きを含んだ未来に対する予測、どんな人生にしたいかという価値観などに重きが置かれます。
人生における重大な選択の一つ就職を例に見てみます。
どんな仕事があるかをインターネットや情報誌で調べ、先輩や友達に話を聞く。
どんな世界になっていくかということを考える。
どんな生き方がしたいかを考える。
他にも挙げるときりがありませんが、このような過程を踏むと思います。
そして、「納得のいく選択」を取るわけです。
世の中のすべての仕事を調べることはできませんし、他人の話はあくまで他人のフィルターを通して語られるものです。
どんな人生にしたいという価値観も生きていくうちに変わっていくことでしょう。
したがった、自らの選択が常に、また永久に正しいということは決してなく、時には満足のいかないこともありますし、後悔もします。
しかし、納得のいく選択を取ることのできるように考えたあなたは「納得のいく選択」をしているはず。
なので、その不満足や後悔も受け入れることができます。
集めることのできる情報はすべて集めた。
信頼できる先輩の話だったから信用した。
当時はそのような人生を生きたいと思っていた。
だから、「仕方ない」。
人生は、選択に次ぐ選択の日々です。
すべてのことに「納得のいく選択」をすることは不可能です。
僕はそう思っています。
しかし、たとえ納得のいく選択ができなくても、あの時の自分はそこまで頭が回らなかったと「納得」することができたら。
「過去の自分」を責めることなく、受け入れてやることができるのではないでしょうか。
また、自らがコントロールできる唯一の存在「現在の自分」についても、「納得のいく選択」をするように考えれば、「未来の自分」は幸せに思ってくれることでしょう。
そして最終的に、自分の人生が幸せだったかどうかを判断するときは、死ぬときだと僕は思っています。
だから僕は「幸せな人生とは、死ぬときに今までの生き方に納得のいく人生である」と思っています。
「納得のいく終わり」を迎えることができるように、日々「納得のいく選択」のために考えて、行動していきたいものです。
今の僕が思うには「シアワセ人生とは、ナットク人生」なわけですから。
チャンチャン♪
【Fiction】101人の俺。
「あー、もう一人の俺がいたらなー。」
人は叶いもしない夢を口にすることがある。それが叶わないことは誰しもが知っている。本人も重々の承知だ。しかし、言わずにはいられない。それが人で、ヒトという生き物だ。叶わない願いと知っていても、それを口にすることで、叶わないことを確認する。それで自分を納得させる。
「あぁ、やっぱり叶わないんだ」
「叶」という字は「口」と「十」という二部構成だ。人はこう言う。
「「口」に「十」回出して言うと書いて「叶う」。口に出せば夢は叶う。」
と。本当だろうか。十回口に出して言えば夢が叶うとは思わないが、口に出すことは大事だと俺は思う。
「夢」というと少し大げさな気がするので、「やりたいこと」と置き換えて考えてみよう。「やりたいこと」は何でもいい。ゆっくり寝たいとか、美味しいものを食べたいとか、ダイヤの指輪を手に入れたいとか、イタリアに行きたいとか。本当に何でもいい。そしてそのことを口に出してみよう。口にすることのメリットは二つあると俺は思っている。
一つ目は、自分に責任が生まれるということだ。口に出したからには、その「やりたいこと」に向けて歩みを進めないといけないと思うだろう。そうだろ? そうでないと、ただの口だけ人間というレッテルを貼られてしまう。貼られてしまうというか事実だが。歩みを進めると「やりたいこと」の実現に近づく。それは理屈として当然だ。
二つ目は、誰かが助けてくれるかもしれないということだ。あなたの「やりたいこと」は、あなたが口にしない限り周囲の誰もわかりやしない。わかってくれやしない。それは当然だ。他人の気持ちを完全にわかる人はいない。あなたの「やりたいこと」を知った周囲の人は、自分にできることがあるかもしれないと支援を申し出てくれる可能性が生じる。あくまで可能性だが口にしないと、この可能性はゼロのままだ。そして「支援」があれば、「やりたいこと」の実現に近づく。これも理屈として当然だ。
例えば、「ゆっくり寝たい」を例にとってみよう。比較的実現しやすい「夢」だ。まずは「ゆっくり寝たい」と口に出す。ゆっくり寝るための努力をしようとなる。早くお風呂に入るとか、目覚ましかけないとか。そして周りが支援してくれる。お風呂先に入っていいよとか。さぁ、あとは早く寝て、ゆっくり眠るだけだ。
とは言っても「もう一人の俺」がいるはずなんかもなく、降ってくるはずなんかもなく。前述したように叶いもしない。
しかし、僕の夢は叶ったのだった。
とある大学の二年生。一人暮らし。山岳部。近所のイタリアンでキッチンのアルバイト。
研究室では地球環境保全の勉強をするつもりだ。俺は自然が大好きだ。地球からの恩恵に対する感謝を体現し、それを後世にも残していくために、環境保全学者になりたい。大学院への進学を決めている俺はそろそろ勉強に力を入れなくてはいけないと思っている。そこそこ慣れてきた一人暮らし。だが、自分のことをすべて自分でやるというのは楽ではない。親は偉大だ。部活では上級生の引退を控え、部の中心を担うポジションになってくる。俺は(その人望から)部長に任命される可能性が高いと巷で噂になっている。アルバイトは大学に入学したときから始めて、中堅の働き盛り。学業、家事、部活、アルバイト。
「学生には時間がある」とはどこのどいつが言ったのか。それは学生の定義には含まれていない。と俺は思う。すべてやるべきことで、やりたいことだからそれでいい。それでいいのだが、時に一人ではギリギリな時もある。
だが、今日から俺は二人だ。そいつは僕の部屋にある姿見から出てきた。それはアルバイト先の先輩山下さんがくれたものだ。山下さんは男だが長く伸ばした髪を頭の後ろで束ねている。伸ばしているのは髪だけでなく、ひげもボサボサだ。しかし鼻の下は例外だ。いつも仏頂面で、仕事に必要なこと以外はほとんど口を開かず、もくもくと働く。どこで習ったか知らないが、山下さんの作るピザは世界一だ。と俺は思う。俺と山下さんが働くイタリアンは隠れ家風の一軒家の一階にあり、オシャンティーだ。そして地元の人達の知る人ぞ知る名店で、どこのどいつだか、おキレイな女性が一人で山下さんのマルゲリータを食べに来ることも少なくない。
そんな山下さんがある日、店を辞めた。俺にその姿見をくれた翌日だった。山下さんは辞めるとは言わなかった。少なくとも俺には。まさに読んで字のごとくフラッと出て行った。そして帰って来なくなった。今思えば、山下さんは猫だったのかもしれない。
俺はバイト中、忙しくなければ店長とよく話をする。山下さんはそこにいても話には入ってこようとしない。
「俺、最近鏡ほしいんですよねー。体全体が映るおっきいやつ。男は持ってるやつ少ないかもしれませんけど、今のご時世、男も身だしなみが大事ですよ。」
なんて。何の根拠もない持論、そして姿見を手に入れるという「やりたいこと」を恥ずかしげもなく口に出していた。
それから一週間ほど経ったころ、山下さんがめずらしく話しかけてきた。
「姿見、やるよ。俺の。」
ただ、それだけ。
翌日、山下さんは店先までその姿見を持ってきていた。それは思っていたより軽く、大人の男ひとりなら簡単に持ち出すことができた。その日はバイトが休みだった俺はありがたくそれをいただき、山下さんに感謝を伝え、隠れ家風イタリアンを後にした。
姿見をもらって来たその日、俺はそれに全身を映し眺めた。昔からそうだ。手に入れたものはすぐに使いたくなる。服を買って来ればすぐさまファッションショーが始めり、翌日はそれらでコーディネートする。それが俺の性分だ。姿見は俺の理想に限りなく近く、大変気に入った。一通り楽しんだ後、俺は眠りについた。
翌朝、初めて出会ったもう一人の俺は当然、俺にそっくりだった。そしてなぜか俺の言うことをよく聞く。その日以来、俺は大学の授業への出席とアルバイトをそいつに任すことにした。つまり俺は簡単な家事をこなしつつ山岳部の活動、すなわち登山に専念することを決めた。こうして、俺と俺の奇妙な二人暮らしが始まった。
思ってもみなかった。
お金が貯まらないのだ。二人の人間が暮らすには当然、二人分の食費がかかる。洗い物も洗濯も二倍。しかし働いているのはもう一人の俺だけで、アルバイト一人の収入なんぞたかが知れている。大人の男二人を養うので精いっぱいだ。さらに山に行くには金がかかる。交通費、食費、装備費、山小屋に泊まるなら宿泊費もいる。そのための資金は一向に貯まる気配がない。
そして何よりもゴミが二倍出るのだ。二人の人間が暮らせば、ゴミが二倍になるのも当然だ。そこまで考えが及ばなかった自らの浅はかさを俺は嘆く。俺は地球環境保全を勉強しておきながら、自らの欲望のままに「もう一人の俺が欲しい」と願い、それを叶えてしまった。自分の都合しか考えていなかった。
人間が生きていくには、それ相応のエネルギーが必要で、それを俺たちは自然環境から頂いたり、自然環境を犠牲にして得ている。俺が二人いることは、二人分、地球に負担を掛けているということでもあったのだ。
「もう一人の俺がいたら」
時間に追われ、あくせく働く現代社会において、多くの人が一度は思ったことのあることかもしれない。少なくとも俺はそうだった。けど、今の俺は違う。
今日は第三火曜日。粗大ごみの日だ。俺は山下さんからもらった姿見をたたき割り、不用品の紙を貼り、ゴミ収集所まで運んだ。
学業、家事、部活、アルバイト。今日からまた忙しい日々が始まる。俺は、それらを一人でこなす。でも、それは俺が自ら選んだ生活。しんどくなればどれかを辞めたり、比重を変えたりしたらいい。考えて、上手くやればいい。もう俺はもう一人の俺を望まない。
自分の力で、できる範囲で生きていく。考えて、工夫しながら生きていく。そう決めたんだ。
さよなら、もう一人の俺。ありがとう。
【Movie】1月観た映画。
1月は目標の4本/月を観ることができませんでしたー。
本をいっぱい読んでたからかしらん。
僕は映画と本なら、どっちかというと本の方が好きです。
なので、時間があれば読書を優先してしまう結果、映画を観ることは二の次になってしまう傾向が強いのです。
しかし、おもしろい映画・勉強になる映画があることは事実ですし、映画を観ている時の没入感はまた読書とは違う気持ち良さがあります。
そして、映画に関する知見を広めたいとの思いで、4本/月の映画鑑賞を目標としています。
先月観た映画3作品はこちら。
1. イエスマン
2. あと1センチの恋
3. 箱入り息子の恋
1. イエスマン
人のお願いに対して、とにかく「イエス」と答えるようにしておくと良いことがあるという内容でした。
もちろん、すべてのことに「イエス」と言うのは極論で、言えないときもあるし、それで良いと思います。
しかし、総じて「ノリの良いこと」は大事だと僕は思っています。
そのような考え方を持つ僕にとっては、共感できる内容でした。
「イエス」という頻度が高く「ノリの良い」人に対して、周囲の抱く印象は明るく、良い方向に向かうと思っています。
そのような人にはお誘いも舞い込むようになる気がしてなりません。
「ノリの良い」人はよく誘われるので、人や話が集まり、それは僕の考える楽しい人生なのです。
この考えはまだまとめ切れていなくて、うまく言い表すことができませんが、僕の中では結構大事な考え方です。
ノリ良く生きたい。
「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」
踊っている阿呆を見つめたら、乗っかれる阿呆でありたい時もあります。
いつもじゃないけどね。
2. あと1センチの恋
えっと、、、あんまり覚えていないのですが笑。
幼馴染みの男女のすれ違いを描いた作品だったと思います。
ちょっと前に同じようなストーリーの映画を観たので、ちょっとごっちゃになっています。
主人公は自分を愛してくれない幼馴染みに思いを寄せるわけですが(たしか)。
結局は自分を愛してくれる人を愛するのが良いんじゃないかなーと思うことがあります。
そうすれば、少なくとも一人は幸せにすることができますよね。
3. 箱入り息子の恋
ブルーレイで映画を買うとこんなに高いんですね笑。
なんか得点がついているんかな。
自宅と職場を行き来するだけの生活、仕事でも向上欲がなくただこなすだけ、プライベートは家にこもりゲームとカエルの世話。
そんな主人公が目の不自由な女性に恋をする。
彼女との日々の中で、主人公の生活に色がついていく。
障害と純愛という真面目なラブストーリーにちょいちょい挟んでくるギャグが小気味良く、真面目な話を真面目過ぎずに語ってる感が好きです。
「僕には障害がありませんが、欠点なら山ほどあります」
というセリフから、障害と欠点を同列に見てしまう一面もありますが、それぞれに何かしら特徴はあって自分がカバーできるとこはして、相手にカバーしてもらうところはしてもらえばよいんだ。
というメッセージを感じました。
僕は基本的にAmazonプライムを利用して映画を観ているので、観ることのできる作品はかなり限られています。
しかし、上記したように面白い作品は多々ありますし。
どんな作品からも学ぶことであったり、共感するところであったり、何かしらの発見を引き出すことができると僕は思っています。
これからもいろんな視点から勉強し、感動したいと思います。
チャンチャン♪
【Life・Book】あえて吊り革は持たずに立った方がいいと思うin電車 ~「GO WILD」を読んで~
電車に乗るときは、座りたいのかor立ちたいのかをよく考えて、特に座りたい理由がなければ立っとこうや、足腰鍛えられるし座席争いに巻き込まれることもないから、ええで^^b
っていう話を前回のエントリーでしました。
んで、昨日の帰り道、例の如く電車乗りながら、立ちながら、本読みながらしていました。
「GO WILD 野生の体を取り戻せ!」
人間はヒトとしての(生物学的な)進化を無視している。
その結果、様々な病気に苦しめられている。
人間としての幸福を目指すために、まずヒトとしての幸福を見つめてみよう。
「GO WILD」
すると、前回のエントリーに+αできるアイデアを思いついたので、今回はその話です。
1. 電車で立つときは吊り革を持つのをやめよう
表題の通りです。
上記の「GO WILD」にて、ヒトの体にあるセンサー器官として、重要なものは生殖器、手(の平)、足(の裏)の順だと紹介されています。
靴を履いて生活する現代生活ではこの足の感覚が鈍り、鈍った結果、年老いてから転んでしまうというのです。
老人になってから転ぶことは危険で、変な転び方を知ると簡単に骨を折ってしまいます。
さらに車などとの接触の恐れもあります。
かと言って、裸足で生活するのも難なので、、、。
電車に乗っているときに立つなら、そん時に少しでも鍛えといたらええやん!!!と思ったわけです。
当然、電車はガタンゴトンと揺れますので、トレーニングにもってこい、どんとこいです。
2. 吊り革を持たないことで得られるメリット
僕は吊り革を持たないことのメリットを今のところ、2つ思いついています。
一つ目は上述したように足腰が鍛えられるということです。
これがもたらす効果は大きく、転びにくくなるというのはその一つです。
さらに、満員電車でブレーキがかけられてもブレない力を手に入れることができます。
満員電車でブレーキがかかると慣性の法則に従ってたいていの人が動きますよね。
場合によっては人の波が押し寄せ、ドミノ倒しになることも。
しかし、日ごろから足腰を鍛えているあなたが壁となれば、その波を止めることができます☆
僕が満員電車に乗るときは何気にこの点を意識しており笑、「俺がその波を止めてみせる」と息巻いています。
二つ目は、他の人が吊り革を持つことができるということです。
満員電車で自らの身体に安定性を付与するために、吊り革や手すりを握りしめるというのは数多(あまた)の人が用いる常套手段です。
つまり、多くの人が支えを欲しがるのです。
しかし、日ごろから足腰を鍛えているあなたは、あなた自身が支えなので外部支持が必要ありません。
代わりにその吊り革を誰かが使うことができます。
この点も僕は何気に意識しており、必要に迫られなければ手すりを持たないようにしています。
このように、電車に乗るときどーせ立つなら、吊り革を持たずに立って足腰を鍛えるよう!
それから得られるメリットは多いよ、と思ったので昨日から僕は吊り革を持っていません。
暫定的にこれが良いと思えば、すぐ実践!
良い案が思いつけば、向上、向上していきたいと思います。
チャンチャン♪
【Life・Book】本当に座りたいときは座ればよくて、それ以外のときは立った方がいいと思うin電車。~「座らない」を読んで~
先月読んだ本でも、今月読む本でもない本についてです。
座らない
どストレートのタイトル「座らない」です。
人間の健康について大量の医学論文を読み込んだ著者が、その知見をもとに食事・睡眠・運動の3パートに分けて書いた本です。
常識を覆すことや、最近注目されている事柄が頻出し、健康に気を使いたい僕としてはとても面白い本です。
その中でも僕の私生活に取り入れて継続的に実践していることは、電車に乗るとき基本的に座らないことです。
1. 僕が座らないとき
電車に乗っているときは基本的に座りません。
立ったまま本を読んで過ごすことにしています。
2. 僕が座るとき
人と一緒にいるときは座ります。
僕が「立つ」と言うと相手が「なんで?」でなるかもしれないので、人といるときは相手に合わせて座ります。
席が一つしか空いていないときは、もちろん、理由を説明して譲ります。
また、ものすごい疲れているときも座ります。
まぁ、あんまりないんですけど笑。
睡眠不足で(あんまりないけど)、飲みすぎたとき(あんまりないけど)は座って眠ります。
3. 座らないことで得られる効果
僕はこの「電車では基本的に座らない」ということをかれこれ1年近く続けているように思います。
記録はしてないからわかりませんが。
足腰は強くなったし、それに依るものか疲れにくくなったように感じています。
それに、不毛な座席争いに巻き込まれる必要もないので、平穏無事に電車生活を過ごすことができます。
4. 本当に座りたいかどうか考えるのが大事
重要なことは「座る理由があって座っているのか、それを考えること」だと僕は思っています。
本当に疲れているときや座って作業したいときは、若者だって誰だって座ればいいんですよ。
「電車の中では基本的に立つ」ということを始めてから気になっていることがあります。
本当に座りたくて座っている人はどのくらいいるのだろうか。
「座るor座らない」という選択肢を吟味しているのだろうか。
考えた末、僕には基本的に座る理由がなく、立つ理由がある。
そして僕はこの生活に非常に満足しています。
チャンチャン♪
【Book】2月読む本。
1月はおもしろい本にたくさんであることができました。
この勢いそのままに、2月も面白い本に出会えたらいいなーと願いを込めて以下の11冊をピックアップしました。
たぶん、全部は読めない笑。
《小説》
1. ワイルドソウル 上
2. ワイルドソウル 下
3. 山椒魚
《学術関連》
4. ヒトと文明 狩猟採集民から現代を見る
5. 外来種は本当に悪者か
6. GO WILD 野生の体を取り戻せ!
7. ヒューマン ヒトはなぜ人間になれたか
8. ゾウの時間、ネズミの時間
《その他》
9. リーダーは弱みを見せろ
10. マーケット感覚を身に着けよう
11. 勝ち続ける意志力
毎度のことながら、たいてい読みたい本がどんどん見つかって上記の今月読む本の構成は変わってしまうのですが、一期一会で旅は道連れということでそれも良しとしましょう。
読みたい本を読みたい時に読みたいだけ読む。
これが僕の読書スタイルです。
1. ワイルドソウル 上
2. ワイルドソウル 下
この本は、ネットで見つけたレビューか何かから拾ってきました。
なんでもそのレビューによると、スピード感のある本なのだとか。
スピード感のある小説は好きで、その世界にのめり込み、びゅんびゅん読んでるうちにめっちゃ時間すぎてるやん!っていうあの没入間がたまりません。
あと、自然が好きなので、「ワイルド」という単語に惹かれました笑。
3.山椒魚
前回のエントリ「1月読んだ本。」で紹介した「日本語の作文技術」の著者が井伏鱒二の文章が良い!と何回か書いていて、別の本でもこの「山椒魚」の一節が取り上げられていて、注目していました。
満を持しての購入。
夏目漱石の「こころ」とかは国語の教科書で読んで好きでした。
しかし教科書以外で、ちょい昔の文豪が書いた本を読むことはあまりないのですが、新境地へ進出することができるか楽しみです。
4. ヒトと文明 狩猟採集民から現代を見る
実は1月末から読み始め、すでに読了している本ですが、おもろいです☆
この本を手に取った理由は、「1月読んだ本。」の「あなたはボノボ?それともチンパンジー?」で狩猟採集民の話が取り上げられており、それに興味を持ったからです。
どちらかというと農耕民農法が食料の安定供給を実現しており、狩猟採集民は一日一日の食糧確保にあくせくしていたという勝手なイメージを抱いていました。
しかし、「あなたはボノボ?それともチンパンジー?」に狩猟採集民のほのぼのした制つについて軽く触れられていました。
そこで芽生えた「いったい狩猟採集民はどんな生活を送っているのか」という疑問が本書との出会いのきっかけです。
狩猟採集民と農耕民を人類学の知見をもとに比較しており、狩猟採集民が瀕している危機的状況、これからの農耕民の生活についても著者の意見に共感できました。
5. 外来種は本当に悪者か
タイトルが良いですね。
確か、いつかの「今月読む本」にもピックアップされていた本です。
今月こそ、読みたい!
生態系や生物多様性を守らなければならないと、「漠然に」思っている人は多いかと思います。
僕もその一人です。
守った方が良いような気がするけど、それをなんでなんだと言われたら、上手く説明できるだろうかという不安があります。
そして生態系を守る方策の一つとして「外来種の駆除」や「外来種を持ち込まないこと」があります。
しかし、外来種は特定の地域で「外来種」なわけで、それ自体が悪ではありませんし。
彼らは「自らの遺伝子を後世にできるだけ多く残す」という全生物共通の生きる目的のために生命力を養ってきたわけです。
これら自体は何も悪いことのように思えません。
では、外来種の何がダメなのか?その答えを本書に求めています。
6. GO WILD 野生の体を取り戻せ!
タイトルに「ワイルド」が入っていますね笑。
僕はわりと健康に気を使っています。
満員電車に揺られ、机に向かってデスクワークを延々と続け、コンビニで昼・夜と済ませ、帰りの電車はぐったり眠って帰路に就くといった生活が嫌いです笑。
本書にはそのような現代生活ではなまってしまう体を鍛えなおす生活の仕方(運動、食事、睡眠、習慣)のヒントが書かれているのではないかと期待しています。
7. ヒューマン なぜヒトは人間になれたか
こちらもタイトルが良いですね、「ヒトはなぜ人間になれたか」。
「ヒト」は生物学的な人類つまりホモ・サピエンスを、「人間」は文化・社会適的な人類を表していると思われます。
(生物学的な意味合いで生き物を表したい時にはカナ表記にすることが多いのです。鮭→サケ、熊→クマとか)
ということで、動物としての「ヒト」はなぜ(他の動物とは一線を画した)文化や社会を有する「人間」になることができたかが書かれているのでしょう。
ヒトとその他の生き物との違いについてはとても興味があります。
8. ゾウの時間、ネズミの時間
哺乳類の心臓が一生に打つことのできる心拍数というのはだいたい決まっていて、大きい動物ほど遅く、小さい動物ほど速いと言われています。
つまり大きい動物ほど超寿命で、小さい動物ほど短寿命だということです(ざっくりと)。
(あんまりドキドキしすぎると早死にするんかな?笑)
ヒトは上記の知見から見ると長生きしすぎだとかなんとか。
医療があるからやね。
上記のようなことが書かれていることで話題になった本書。
中身はなんとなく知っているのですが、きちんと読んだことがないので読んでみたいと思っていました。
9. リーダーは弱みを見せろ
これも過去にピックアップされていたけど、未だに道半ばでストップしている本です。
前半だけ読んだんですけど、「モンテッソーリ教育」というものに興味を持っています。
教師をは子どもに何かを教えるのではなく、子どもがやりたいことをファシリテーターとして引き出し、専念できる環境を提供するというものだそうです。
子どもの自主性を養い、物事に没頭する経験を与えることができるのが本教育法のメリットで、成功しているIT企業の創業者にこの教育を受けていた人が多いんだとか。
最近、僕の中で「人として大切なこと」の一つに「自主性」というキーワードが台頭してきていて、神セブン入りしています。
たしかに、受け身の従来教育より、「ま、とりあえずやってみ」という経験学習の方が身に着いたし、自分で考えてやって試行錯誤してっていうプロセスが一番勉強になったかなーと(僕のあっさい人生経験に基づいて)思います。
10. マーケット感覚を身に着けよう
この本も何回か登場しているのですが、そろそろマーケット感覚を身に着けたいです笑。
僕は商売感が無いというか、何が売れてとか、どれくらい市場があってとか考えるのが得意ではありません。
なぜか、あまり興味が湧かない。。
でも、生きていく上でお金は必要だし、自分のしたいことを存分に楽しむためにもある程度のお金があった方が良いです。
そして自分のしたいことに力を注ぐためには、効率よく必要な分だけのお金を稼ぎたいわけです。
そこで必要になってくるのが「マーケット感覚」ではないかと思っています。
あまり時間と労力をかけずに、必要なだけのお金儲けしたいですね。
11. 勝ち続ける意志力
なんでも著者は「成長依存症」なんだとか。
日々成長し、勝ち続けるための哲学がこの本に書かれているらしく、すんごいお勧めされていたので読んでみよーと、って感じです。
勝つかどうかはともかくとして、ある時に人生を振り返ったとして「自分、全然成長していないやん」ってのは寂しいし、なんの変化もない日々を過ごすのも退屈だと思うので、本書より「成長哲学」を学びたいと思っています。
以上、今月読もうと思っている11冊でした。
今月は選書理由がなかなか明確になっている本が多く、より良い学びになって、面白い本にたくさん出会えると良いなーなんて思っています。
チャンチャン♪
【Book】1月読んだ本。
1月はたくさん本を読みました。
記録を付け始めてからでは最多のひと月の読書量でした。
お正月休みがあったからかな?
僕は読む本をざっくりと、小説・学術関連・その他と分類分けしているのですが、バランスよく読めたのも良かったと思います。
中でも読書時間が一番長くかかってしまうのは学術関連の書籍ですが、動物生態学・霊長類学・人類学といった興味に沿った書籍を読むことができました。
1月は「いく月」、2月は「にげる月」、3月は「さる月」と言われ、12月の「師走」も含めてバタバタする年末・年度末ですが、僕にとってはこの1月が「サル月」でした笑。
《小説》
1. 太郎物語 -高校編-
2. 太郎物語 -大学編-
3. よるのばけもの
4. 夜行
《学術関連》
5. 日本語の作文技術
6. 「サル化」する人間社会
7. 伊谷教授の特別講義「コンゴの森とボノボの生態」
8. あなたはボノボ?それともチンパンジー?
《その他》
9. 二十歳の原点
10. 電子書籍を売る方法
1. 太郎物語 -高校編-
主人公の太郎君とそのご両親の掛け合い、考え方が非常に面白い作品です。
特に「高校編」「大学編」両作で見られる太郎の進路問題はとてもとても考えさせられます。
太郎は世間体は関係なく自分のやりたいことにもっとも適した場所を選ぼうとしますし、その生き方に対して親は支援しながらも最後はあなたの責任、あなたの人生だからという姿勢を取ります。
腹を割って語り合い、言い合いつつも、お互いの考え方を認め、尊重している家族の在り方に憧れのようなものも感じます。
いつか自分が親になることがあれば子どものやりたいことを尊重してやりたいです。
子が成長の過程で見てきた世界は、(時代的にも選択的にも)親のそれとは間違いなく異なり、彼らなりに好き嫌い、良し悪しで判断して道を選んでいます。
その決断を親の知っている世界の範囲、価値観でもって制限してしまわないように気を付けたいです。
むろん、よくよく考えたうえでの子の判断であることが大前提で、親が口を挟むべきは子が選択する進路ではなく、子の熟考が行われたかどうかだと僕は思います。
考えに考え抜いての選択なら、親から言えることは「お前の人生だから責任もって、生きて行けよ」ということだけです。
子どもの側も、どんな選択をするかだけでなく、どこまで考えたかを示すような考え方をするとよいと僕は思っています。
そういった視点で、この「太郎物語」は高校生や大学生、その子を持つ親に読んでほしい本です。
高校生は、自らの人生を選ぶうえで考えるキッカケに。
親は、太郎の両親のように「子の道を狭めない親の生き方」を見て頂きたいです。
2. 太郎物語 -大学編-
もう、↑で語り過ぎてしまいました笑。
3. よるのばけもの
学校のいじめ問題に焦点を当て、夜になると現れる「ばけもの」を介するという独特の形で表現しています。
住野よるさんの作品は、会話のテンポの良さと、ウィットに富んだ掛け合いが好きです。
今回はその影はどっちかというと潜めていたように思います。
4. 夜行
住野よるさん同じく僕の好きな作家のひとり、森見登美彦さんの作品です。
ホラーっぽい仕上がりでした。
僕が今まで読んできた森見さんの作品はコメディタッチのものばかりだったので、森見さんの作品にこういったものがあることは知りませんでした。
が、過去にもこのようなホラータッチの作品を書かれているみたいです。
一つの物語の中にショートストーリーがいくつかあるような構成で、それぞれの話の伏線らしきものが放置されたままだったり、結末がはっきりしなかったり、、といった感じで終わります。
なので、不完全燃焼感の残る作品で「すっきりしない」といったレビューが多くみられました。
僕としては、結末が明確でない分、いかようにも考察・解釈のしようがあるので、読んだ人同士で感想を共有すると面白いと思いました。
5. 日本語の作文技術
うちの教授が絶賛していた本です。
日本語の文章を書く際に気を付けるべきことが書かれています。
その内容は細かなテクニックではなく、それらを一般化して一つ上のレベルで説明する理論です。
なので、覚えるべきことは少なく、それを知っていれば誤読の少ない比較的読みやすい文章が書けるというものです。
すばらしい!
また、言語学の知見がちりばめられていて、技術書としてだけではなく、読み物としても非常に面白く思いました。
このような本を読む最大の利点は技術や理論を覚え、わかりやすい文章を書けるようになることにあるのではなく、普段から自分の書く文章、読む文章に対する感覚が研ぎ澄まされることにあると僕は思っています。
そのような感覚を持っていると、この文章は読みにくいとか、読みやすいとか気づくことがあります。
それが自分の書く文章に、書きながらも反映されたとき、読みやすい文章に近づいているのではないかと僕は思うわけです。
(読みやすいですか?笑)
6. 「サル化」する人間社会
京都大学の総長である山極先生の書いた本です。
山極先生は、僕の好きな科学者のひとりでもあります。
生き物が好きなので、単純にゴリラの生態について読んでいるだけでも面白かったです。
この本はさらに、ゴリラの生態から得られた知見をヒトの生活にも当てはめて考えています。
特に面白かったのは、ゴリラのコミュニケーションの方法です。
彼らは顔と顔を数センチぐらいの距離まで近づけ、目を見てコミュニケーションを行います。
これはニホンザルとは正反対です(野生のサルと目を合わせてはいけないというやつで、敵と認識されます)。
今日、インターネットやSNSの発達により目を合わさずともコミュニケーションをとることが盛んになりました。
ここで、あらためてゴリラのコミュニケーションから、ヒトのコミュニケーションを見直そうといった視点も述べられています。
7. 伊谷教授の特別講義「コンゴの森とボノボの生態」
ゴリラに続きまして、ボノボの生態について京都大学野生動物研究センターの伊谷先生によって書かれた本です。
「ボノボ」というのはヒトやチンパンジーの近縁種で、チンパンジーと共に最もヒトに近い類人猿と言われます。
この本は、そのボノボに関するお話を非常にわかりやすく簡単に説明してくれています。
生物学を専門としていないような人でもボノボについてざっと知ることができます。
彼らは知性が非常に高く、人間の訓練によってヒトの言葉を理解して行動することができます。
また、独特の社会制をもっており、(ざっくり言うと)争いを性行動で回避することでも知られています。
「争いを性行動で回避する」というといささかギョッとする部分もありますが、その戦略をとるまでのプロセスが面白く、理屈を考えると合点がいきます。
この理屈を考えている間、そして合点がいったとき、なんとも 言えない幸福感に浸ることができます!!!(ぼくくらいかな?)
8. あなたはボノボ?それともチンパンジー?
ボノボやチンパンジーといったヒトに近い類人猿についてさらに深く知りたい方には本書をお勧めします。
こちらは京都大学霊長類研究所の古市先生が書いた本で、チンパンジー・ボノボ・ヒトの生存戦略・社会制を比較しています。
ちなみに、京都大学は「霊長類学」と呼ばれるヒトに近い生物である霊長類の研究で有名なので、上記のように霊長類に書かれた本の著者たちは京都大学の先生方が並ぶといった結果になっています。
僕は生き物(ヒトを含む)の生存戦略にとても興味があります。
ヒトは言語などのツールを使って頭で考えてどのような戦略を取るか選ぶことができます。
しかし、それ以外の生き物や人類の祖先が思考しているかは、定義にもよりますが、微妙なところです。
多くの生き物は自然淘汰によってどちらかというと受動的に戦略を決めていると僕は思っています。
そして、自然淘汰によってそれぞれが多種多様な戦略を取っていったプロセスと、その戦略の意味するところを考えるだけでワクワクします。
チンパンジー・ボノボ・ヒトは近縁種で、同じ祖先から分岐しています。
共通の祖先が生存していく過程でそれぞれの戦略をとり、上記3種の生物に進化したということです。
その戦略(つまりそれぞれの違い)は何か?なぜその戦略なのか?
人のヒトたる所以も垣間見れて、とてもおもしろい一冊です。
大仰なことを書きましたが、文章自体は平易でとても読みやすいです。
アフリカの大自然や生活についても書かれていて、我々とは明らかに違う情景も楽しむことができます。
9. 二十歳の原点
大学紛争の時代、立命館大学の学生として京都で過ごし、最後には自ら命を絶った著者の日記を本にしたものです。
「大学紛争」というものがどういうものか、何回か勉強してもよくわかっていないのですが、著者の等身大の文章から当時の苦悩を見ることができました。
皆が皆ではないとは思いますが、当時の大学生は「生きること」や「働くこと」といった哲学的なことを考えていたのかなーという印象を持ちます。
その結果が「大学紛争」だったのではと思います。
翻って現在を思うと、あまり深く考えていない人、あるいは思うところはあるけども行動に移せない・移さない人が増えているのかもしれないと。
忍耐強くなったというか、、その結果が過労とかにつながるのかもしれないと、当時と現在の状況分析はしていませんが、ぼんやりと思っています。
10. 電子書籍を売る方法
僕は文章を書くことが好きで、いずれ本を書きたいと思っています。
現代は、電子書籍の登場によって、個人が自費出版しやすくなったと感じています。
良い時代です。
そのうえで、ただやりたいだけではどうにもならないと思い、書いたからには利益をそこそこ出す方法を知っておこうという考えで本書を手に取りました。
書かれている内容は細かなテクニックでしたが、電子書籍を出版したことのない人には非常にタメになるものだと思います。
一部、利益に寄っている部分もありますが、そういう考えもあると思います。
利益が上がるということは、多くの人に読んでもらえるということで、自分の文章にそれだけの価値があるということです。
煽りやなんたらで自分の文章に触れてもらう機会を増やすのはどうかと思いますが、本書に出てくる正攻法は使えそうなものが多くありました。
冒頭に書いたように、1月はたくさんの本を読むことができました。
ただ、ひとつひとつの本を取り上げたエントリーを書けていないのがもったいないので、いつか書こーっと。
チャンチャン♪