Bunshuが歩く。

歩くように日々考えていること、思っていること。思いつき。

【Movie】2月観た映画。

2月は目標達成、4本の映画を観ることができました。

 映画を観るときは特にテーマはありません。

 

なんとなく、これおもしろそうだなーというものを観ることにしています。

知識もないですし、大したアンテナも持っていないので、何が良いのかよくわからんのです笑。

 

2月観た映画はこちら。

1. ツレがウツになりまして

2. 深夜食堂

3. 涙そうそう

4. ホリデイ

 

 

 

1. ツレがウツになりまして

鬱になっちゃった夫と、それをサポートする妻の話。

鬱という病気がどんなものか概念的には知っていますが、実際に映像にするとこんな感じになるのだということが目に見える形で分かりやすかったです。

 

そして、宮崎あおい扮する妻のサポートが素晴らしく、優しすぎる!

夫に休みたいときは休めばいいと寄り添う姿にとても微笑ましい思いでした。

 

舟を編む」の時も良妻役だった宮崎あおい

夫を川に例えるなら、その流れをせき止めるダムや、流れを変えたり流れを分断したりする分岐点ではなく、その流れに合わせて同じ方向を目指す船の様でした。

 

 

 

2. 深夜食堂

主人公の営む深夜食堂に集まる客たち、主人とお客、周りの町の人たちの関わりがなんとも言えない映画でした。

 

劇的な展開があるわけではありませんが、にぎやかな客たちに対して淡々とした主人の対応になんとなく惹かれます。

この「なんとなく」がいいんじゃないかなーと思います。

 

うまく言えませんが、主人のオーラが素晴らしいです。

動かざるごと山の如くのおじさんになりたいなーと思います。

 

 

 

3. 涙そうそう

兄弟愛を描いた作品。

 

沖縄を舞台にした映画を観ると、たいてい沖縄に住みたいと思ってしまいます。

独特の雰囲気が流れており、三味線、泡盛、エイサー踊りの宴会を見ていると「入れてー」って気分になります。

 

物語自体は急展開で、テーマを絞るのが良いと思いました。

 

 

 

4. ホリデイ

それぞれがそこそこ上手くやっている二人の女性、しかし男運はない二人の女性、彼女たちが家を交換することを転機に、幸せを手に入れます。

 

「家を交換する」というアイデアが面白いなーと。

実際にこーいうサイトがあるのかどうか知りませんが(ありそう)。

 

前々から時々思っていることですが、同じところにうん十年住むのより、いろんなところ回った方が楽しんじゃないかなーと。

もちろん、大変なことはいろいろあります。

家具などの運び出しとか、人間関係とか、仕事とか。

 

家具の運び出しについては、とにかく持っている物の量を減らすことで対応できます。

かねてから現代人は物を持ちすぎなんじゃないかと僕は思っています。

定期的に移住(?)することで、最低限のものをもつという習慣ができるかなーと。

 

人間関係も、定期的な移住(?)が広がれば、外から来た人を快く受け入れる態勢が整っていくんじゃないかなーと。

 

仕事はネットの普及で、いろんなところでもできるようになってきたので、いずれ解決されるかなーと。

 

 

 

とまぁ、まとまりのない4作品を観ました。

映画に関しては、どんなものが面白いと見極める選球眼と自分の中の軸をつくることのできるようになるまで、いろいろ幅広くみていきたいと思います。

 

 

 

チャンチャン♪

 

【Book】3月読む本。

3月は小説も読みつつ、学術関連の本を読みつつという目標を達成したいと思います。

 

テーマとしては、フィールドワークによる霊長類学・人類学を中心に置くことにします。

 

3月読む本はこちら。

 

《小説》

1. 天使と悪魔・上

2. 天使と悪魔・中

3. 天使と悪魔・下

4. ボノボとともに 密林の闇をこえて

5. ワイルドソウル・上

 

《学術関連》

6. 生涯をかけるテーマをいかに選ぶか

7. 初めてのフィールドワーク アジア・アフリカの哺乳類編

8. 野生のゴリラと再会する

9. 道徳性の起源 ボノボが教えてくれること

 

《その他》

10. 東大囲碁教養講座

 

 

 

それでは、一個ずつ見ていきます。 

 

 

1-3. 天使と悪魔・上中下

300ページ近くある本を3冊も読むという強気なスケジュールに出ることができた理由は、すでに読み終わってしまったからです。

平日の3日で3冊読むことができました。

それくらい面白い本です。

 

うちの研究室の秘書さんが「面白いから」とお勧めしてくれた本です。

宗教と科学、人類に幸せをもたらすのはどちらか、といった視点は研究している身からすると非常に考えさせられました。

 

どっちが良いということはないし、バランスも大事だと思うので、自分が今身を投じている分野に偏向した考え方を持たないようにしたいと思いました。

 

また、欧州を始めとする宗教芸術には全くと言っていいほど興味がなかったのですが、この本をきっかけにベルニーニの彫刻に興味を持ちました。

人生で初めて「生で観たい彫刻」というものを持つことができました。

 

「聖テレジアの法悦」というものなのですが、大理石の彫刻とは思えないほどの柔らかな曲線に思いをはせていました。

 

 

 

4. ボノボとともに 密林の闇をこえて

ヒトを除く霊長類の中で、僕が最も興味を持っているのが「ボノボ」です。

チンパンジーと共に、「ヒトに最も近いサル」と呼ばれています。

 

最近、そのボノボに関する本や論文をちょこちょこ読んでいるのですが、なんと小説にもなっているではありませんか!

ということで購入しました。

 

来週辺りに読み始める予定ですが、非常に楽しみにしています。

 

 

 

5. ワイルドソウル・上

たぶん、いつかの「〇月読む本。」にも登場した本です。

「ワイルド」という単語に惹かれたとか書いたような笑。

 

「3月読む本。」には、小説が5冊含まれるといった太っ腹ぶりですが、3冊はすでに読み終わっているし、たいていの小説は比較的早く(2,3日)で読めますし、5冊くらいはいけるのではと踏んでいます。

 

 

 

6. 生涯をかけるテーマをいかに選ぶか

「テーマ」ってなに?

「人生のテーマ」?

って思われる方もいるかもしれませんが、「研究テーマ」です。

 

研究の世界で生きていく人たちにとって「研究テーマ」は非常に重要で、そのまま「人生のテーマ」になってしまう人もいると思います。

 

それくらい重要な研究テーマ、先人たちはどのようにして選んできたのかを著者が紹介します。

東工大の講義のひとつだそうです。

 

僕は生き物が好きで、生物学の多くの分野に興味があります。

しかし、残念ながら自分自身で研究できるのは、一分野のごくごく狭い部分のみ。

だったら、どんなことを研究するかというのは非常に重要です。

ちょっとしかできないので、そのちょっとを何に絞るのか、最近考えていました。

 

そんな問題の解決の糸口でもつかめたらいいなーと思っています。

 

 

 

7. 初めてのフィールドワーク アジア・アフリカの哺乳類編

最近僕が関心を抱いている霊長類ボノボの話を上記でちょっとだけしました。

さて、ボノボの研究はどのようにして行われているのでしょうか。

 

フィールドでの研究と実験室での研究と、大きく二つありますが、僕の関心が特に強いのがフィールド研究です。

そこで、ボノボが生息するアフリカを含んだフィールド研究に関する本を読んでみようと思いました。

 

京都大学の野生動物研究センターの学生を含んだ研究者たちが自らの研究実態について執筆しています。

 

 

 

8. 野生のゴリラと再会する

京都大学総長山極先生の著書で、フィールド研究で対象とし、心通わしていた特定のゴリラと26年ぶりに再会するというお話です。

 

フィールド研究の神髄を垣間見ることを楽しみに購入しました。

また、レビューでは、山極先生の筆に感動するという旨も書いてあったのでハンカチを用意します。

 

 

 

9. 道徳性の起源 ボノボが教えてくれること

またまた、ボノボです笑。

ボノボは非常に平和的な動物として知られています。

群れで行動しており、群内・群間のいざこざは多少あるものの、近縁種のチンパンジーのように仲間を殺したりはしません。

また、協調行動や利他的行動も多くみられるといいます。

 

そのような霊長類を研究することで、ヒトについて知る、のが「霊長類学」という学問です。

本書では、特に平和的なサルであるボノボの道徳性について注目しています。

 

正直、学術関連本4冊は読了できるか怪しいですが、3月中に本書の途中まで行けたらいいなーと思っています。

 

 

 

10. 東大囲碁教養講座

囲碁始めました。

 

理由はいろいろあるんですが、頭を使いそうなゲーム(囲碁、チェス、将棋など)を何か始めたいなーと思っていました。

難易度、プレイ人口、国、、、様々な要素を考慮して囲碁にしました。

 

結局のところはiPS研究所の山中先生も始めているらしい、僕のおじいちゃんが囲碁好き、母片の家系は伝統的に囲碁が強いらしい、高齢者との交流を持てるかもしれない、、、といった「人」の要素が決め手となりました。

(就活みたいですね笑)

 

ネットでルールを覚えて、オンライン囲碁をちょろっとやってみたのですが、全然勝てないので指南書を購入することにしました。

いろいろ調べてみた結果、東大の教養科目で囲碁があることに驚き、それについて教科書的に書かれた本があると知り、それが本書です。

 

読みながら、囲碁を打ちながら覚えていきたいので、この本は3月中に読み終えたい本ではありません。

だらだら読みながら、時に立ち返って、実践しつつ、囲碁を上達していきたいです。

んで、いつかはおじいちゃんとよい勝負できるとこまで持っていきたいです。

 

 

 

すでに読み終わっているのが3冊、読み終わらなくても良いのが1冊ということで、3月は余裕があるので、10冊の本をピックアップしてしまいました。

残りの6冊中、5冊くらいは読了したいと思います。

今回選んだ学術関連本のうち「道徳性の起源」以外は、比較的平易に書かれた本っぽいですし、すらすら読めると見込んでいます。

 

3月のテーマであるフィールドワークによる霊長類学・人類学を楽しみたいと思います。

 

 

 

チャンチャン♪

 

 

【Book】2月読んだ本。

2月はすごく長かったように思います。

2月の前半に読んだ本、後半に読んだ本で、頭に残っている感覚が違っています。 

 

今月の特徴は、、、何と言っても小説を読まない月であったということです。

個人的にはビックリです。

 

僕は小説と生き物関連(食事・健康なども含めて)の本が好きです。

これらの本を読んでいる時の没入感は、他の追随を許しません。

 

ではなぜ小説を読まなかったのか?

答えは、生き物関連の学術書が面白かったからでしょう、たぶん。

 

そして、今月読んだ本はこちら。

 

1. ヒトと文明

2. 外来種は本当に悪者か

3. GO WILD

4. ゾウの時間、ネズミの時間

5.博士号だけでは不十分

6. リーダーは弱みを見せろ

7. 私がマッキンゼーを辞めた理由

 

学術関連の本が5冊、ビジネス・啓蒙っぽいのが2冊です。

 

 

 

1. ヒトと文明

この本の副題は「狩猟採集民から現代を見る」です。

ここに惹かれてこの本を読みました。

 

僕のイメージでは、狩猟採集民は日々の食料を確保するのにあくせくしていて、農耕民は計画的に栽培を行い安定した生活を送っていた、と思っていました。

 

しかし、先月読んだ「あなたはボノボ、それともチンパンジー?」という本には「アフリカの狩猟採集民の生活ものんびりしていて悪くない」 というような旨の文章がありました。

 

 

それで「ヒトと文明」を読んだわけですが、、、。

狩猟採集民の生活だけでなく、その定義、文化背景、人権問題など、思ってもみなかった世界が溢れ出してきました。

 

当然のことながら、世界には僕の知らないことが山ほどあり、それを少しずつ知っていくことに喜びを感じます。

そういった意味では、刺激的な本でした。

 

この本を読むことで、改めて強く思ったことがあります。

農耕牧畜は確かに安定した食料供給を実現したように思いますが、その負の側面も見つめ、様々なな視点から物事を考えられるようにならないとなーということです。

 

 

 

2. 外来種は本当に悪者か

外来種」ってなんだ?

生物種としてそのような種がいるのではなく、人間が固有の生態系と考えるものの外から入ってくる生き物たち。

 

彼らは生物として生きて、自らの遺伝子を後世により多く残すために戦略を取ってきました。

外来種の侵入も、環境に適したものが残る自然の摂理で、それを防ぐというのはいかがなものか。

自然と人間を切り離して見ていないか。

一方で、固有の生態系を守るというヒトの行動も自然の一つなのか。

どう考えればよいものかと思っていました。

 

んで、この本を読んでも答えは見つかっていません。

 

ただ、現在話題に上がっている外来種問題の多くは、その種自体が悪いのではなく、人間が破壊した生態系にその種が入り込んだだけという例が多いようです。

少なくとも、本書にはそのように紹介されています。

 

生き物自体が悪者ではなさそうという結論になぜか一安心する自分がいました。

その一方で、アフリカやアマゾンなどの「手つかずの自然」と思っていたところも、過去に人間の手が入っていたことが本書で触れられています。

 

これには驚きました。

人間は本当に地球のどこにでもいて、ちょっと多くを占めすぎなのかもしれません。

 

このように一度は破壊された自然も、放置されることでまるで「手つかず」のように再生するようです。

 

しかし、自然は再生できても、種が消えてしまってはその種の再生は不可能です。

種を守るべきなのか、自然の摂理と見放すのか、僕はいまだに選ぶことができません。

 

考えあぐねている間に種が滅んでしまわないように、今は守ることが必要なのかもしれません。

それが僕の暫定の結論です。

 

もう少し、時間をください。

 

 

 

3. GO WILD

この本については唯一、単独エントリーとして少し書くことができました(よかった!)。

 

yokkon.hatenablog.com

yokkon.hatenablog.com

 

現代の生活は、人間の生物学的進化に合ったものではなく、体が適応していない。

という主張をもとに食事・睡眠・運動といった視点から「野性的な生活」のススメが説かれています。

 

特に面白かったのは運動です。

上記エントリーでも触れましたが、長距離を走ることのできる人間の持久力と、自然の複雑さに対応するための複雑な運動が脳を鍛えるという話が印象的でした。

そしてそれらを統合すると、最適な運動は「トレイルラン」だ!という結論に至るのです。

 

コンクリートロードや、ジムの動く床と違って、起伏に富んだ山道で足を踏み出す位置を瞬時に考えながら走ることで脳は鍛えられると、筆者は言います。

 

納得できたので、トレイルラン始めました。

ただ、山を走るという行為はそれだけ山にダメージを与えるということなので、そこの対策を考えていかないといけないと思っています。

 

 

 

4. ゾウの時間、ネズミの時間

体の大きさは違えど哺乳類の心臓が生涯を通じて脈打つ回数はほぼ一定。

しかし寿命は異なる。

寿命の長いゾウの拍動はゆったりと、一方でネズミの拍動は忙しない。

両者には異なる時間の流れがある。

 

これは本書に登場するサイズ生物学の一端にすぎません。

本書には、この他にもなぜそのサイズなのか?サイズが違えば何が違うのか?といった疑問に非常に多岐にわたる回答が用意されています。

 

生物は進化の過程で、自然淘汰によって選別されてきて、今私たちと同じ地球に暮らしているのは選ばれた者たちです。

その選考過程には何かしらの基準があり、たいていの場合、その生き物がその様であるのには理由があるのだと思います。

それをサイズの視点から切り開いていってくれる本書は、1ページ目からずーーーっと面白いです。

 

読書中は、本自体にメモしながら読む派の僕ですが、本書は真っ赤になっています。

 

 

 

5.博士号だけでは不十分

多大な時間と労力をかけて博士号を取ったは良いが、職にありつけない人がいると言います。

本当かよーと思うのですが、そのような人たちは自分の専門研究で博士号を取り「自分の専門研究以外のことはできない」からそういった位置に立たされてしまうと僕は考えています。

 

本書を手に取る前から思っていたことではありますが、専門分野を持ち、それに精通することは当然ですが、その専門研究だけの人間にはならないようにしなければと思います。

専門と言えるものを2つ持てということではなく、研究以外の社会スキルとか常識もいるよねってことです。

 

研究者である間に、人間であり、社会の一員です。

当たり前のことだと思います。

 

 

 

6. リーダーは弱みを見せろ

正直、かなり前すぎて中身の大部分をはっきりと思い出すことはできません。

この本で印象に残っているのは、「モンテッソーリ教育」です。

 

教師(親)がファシリテーターとなり、生徒(子ども)のやりたいことを引き出し体験できる環境を提供するというものだそうです。

 

体験によって学び、自主性を養うことができるという点で僕は共感できる考え方です。

 

本書の本筋とは異なるところに興味を見出してしまいました。

このようなこともあるので、どんな本がタメになるのかはわかりませんね。

 

 

 

7. 私がマッキンゼーを辞めた理由

「生まれ変わったらしたいこと」「人生がもう一度あればしたいこと」それが今本当にしたいこと。

思っていた以上に、刺さりました。

 

東大からマッキンゼー、そしてお笑い芸人へ。

苦悩の末、エリートコースを外れた著者。

 

案外普通の人(行動がぶっ飛んでいないという意味で)で、普通の人なりの成功体験、

苦労体験、そして「やりたいこと」への決断がおそらく本音で書かれています。

 

 

やはり、それぞれの本について単独エントリーを書くことができないと、内容の定着が弱いように感じます。

インプットした情報は、アウトプットされることで頭に残るように思うのです。

 

2月読んだ本の中でも、その中身についてたまたま人にベラベラと話す機会のあったものはよく覚えています。

こうして本の中身や、そこから考えたことをブログという形でアウトプットしているのは、「出すことで残す」ためでもあります。 

 

本を読むことよりも、読むことで得たものを生活に活かすことに意味があると僕は思っているので、3月はできるだけ本に関する単独エントリーを書きたいなーと思います。

 

3月も一週間が過ぎましたね、、、。

 

 

 

チャンチャン♪

【Book】「生まれ変わったらしたいこと」が本当にしたいこと。 ~「私がマッキンゼーを辞めた理由」を読んで~

「生まれ変わったら〇〇したいなー」

「もう一度人生があれば〇〇になりたい」

 

なんてことを聞いたこともあるし、言ったこともあります。

同じような経験をしたことのある人がほとんどではないでしょうか。

 

僕が今回読んだ本に刺さるフレーズがありました。

 

「生まれ変わったらしたいこと」が本当にしたいこと。

 

ちょっと言い回しは違ってるかも、、。

ま、とにかく、そんな旨のフレーズが出てきます。

 

「私がマッキンゼーを辞めた理由」

 

 

 

1. なぜ「生まれ変わったら」したいのか?

「生まれ変わったらする」ということは、今生きているこの人生においては「やらない」ということです。

生まれ変わることは多分ありえないので、その「したいこと」ができることは決してありません。

でも、「生まれ変わったらしたい」ということは、やっぱりやりたいのです。

 

ということで「やりたいけど今はしない」 ことが「生まれ変わったらしたいこと」なのです。

 

んで、なぜ「今はしない」のかを考えると、リスクがあるからでしょう。

 

 

 

2. 本当にリスクか?

著者は東大卒で、マッキンゼーという超エリートコンサルタント会社の一員になりました。

「人を笑わせることで幸せにする」ことがしたかった著者ですが、当時歩んでいたエリート街道から外れることを恐れていました。

 

そこで、人生において失ったら困るものをいくつか挙げてみたそうです。

たとえエリート街道を外れたとしても、その大事なことは失われていかないことに気付いたそうです。

 

そして思ったのです。

やりたいことをやらずに死ぬことこそがリスクだ、と。

 

やりたいことやって間違っていたら、やり直したらいいのです。

上記した人生において失ったら困るものは失われていないように道を選んだはずので、やり直すことは可能ですよね。

 

これを著者は「仮説思考」と呼んでいます。

間違っていたら仮説を修正すればよいのです。

「やってみたけど、ダメだった。やめる」ではなく、「検証したけど、仮説がズレていた。修正する」です。

 

「私は〇〇がしたい」という「仮説」は間違っている可能性も含んでいるので、たとえ違ったところでやり直したらよいと考えます。

 

 

 

3. 生まれ変わる前に、今やろう

本当にやりたいことを「生まれ変わったらしたい」とか言ってやらずに死ぬことがリスクです。

 

人生は一度きりです。

誰もが分かっていることだと思いますし、僕もわかってはいます。

ただ、大事なのに忘れてしまいがちなことでもありますので、こうやって書くことで自分に言い聞かせ、書いて見せているのです。

 

生まれ変わることはないので、やりたいなら、生きているうちに、元気なうちに、やりたいうちにやるのが良いんでしょう。

たぶん。

 

 

 

この本には、自分がやりたいことをやろうとしたときに障害となるものもいくつか挙げられ、それに対する気の持ち方も書かれています。

 

また、著者は東大卒のエリートと書きましたが、精神面がぶっ飛んでいる異次元の人ではないと僕は思いました。

なので、この本に書かれている著者の成功、苦悩といった点に共感できました。

本書で著者が述べているアドバイスは僕にとって参考になりそうでしたし、多くの人にとってもそうなのではないかと思います。

 

 

 

かく言う僕も、「生まれ変わったらしたいこと」があります。

それは本当に「生まれ変わったら」したいこと、つまりできなくても良いことなのか、したいけどあきらめていることなのか。

どっちなのか、自分に聞いてみないといけないなーと思っています。

 

そして何より、やりたいことがあるけど迷っているという人が僕の目の前に現れた時に、本当にやりたいことなのかどうかを聞き、背中を押せると僕が思えば、ぐいと押してあげられるような存在になりたいと思いました。

そんな視点からも、ためになる本でした。

 

 

 

チャンチャン♪

 

 

【Life】「シアワセ人生とは、ナットク人生」だと思う。

「幸せな人生って、どんな人生?」

 

なんて途方もないことを考えてみたことがあります。

3人くらいでプレゼンの練習会を催して、切磋琢磨していた学部3年生くらいのことです。

 

その時の考え、議論がベースとなり、僕の中でこういう人生が幸せな人生だろうという暫定的な自論を持っています。

 

「幸せな人生とは、死ぬときに今までの生き方に納得のいく人生である」

 

というものです。

 

 

 

1. 満足のいく人生、後悔のない人生が「幸せな人生」だと思っていた

僕は当初、「満足のいく人生」や「後悔のない人生」が幸せな人生だと考えていました。

僕は幸せになりたいので、あらゆることに満足いくように、どんなことでも後悔しないように生きていこうとしていました。

 

それ、できますか?

 

少なくとも僕はできませんでした。

時には満足のいかない結果に終わることもあるし、後悔なんて日々絶えることはありません。

確かに、自分の人生に満足できて後悔がなければ幸せです。

でも、現実的に考えてそんな生き方は無理だと判断しました。

 

つまり、僕は幸せな人生を「満足のいく人生」や「後悔のない人生」と定義することで、「幸せな人生」を送ることができていなかったのです。

 

そこで、僕は考え直すことにしました。

「幸せな人生」の定義は、僕にも今からでも達成できるものにしようと。

でないと、幸せになることはできないからです。

 

 

 

2. 不満足や後悔があっても受け入れる

僕は考えました。

人生において不満足や後悔が生まれることを止めることはできない、ならばどうしたらいいか?

 

それらを受け入れること。

 

というのが今の僕の暫定解です。

満足のいかない結果に対しても、後悔に対しても、「仕方ない」と思うことができれば受け入れられると思うのです。

 

どんなことに対しても「仕方ない」と思うことは、仰々しく言うと「運命を認め、受け入れる」ということですよね。

それは運命だから仕方ない、と。

 

でも僕は、運命だからとか、才能だからとか、頭が良いからとか、生まれ持ったものだけで決めてしまうのは好みません。

ある程度は努力や環境といった自分で磨いたり、選んだりできるもので結果を変えられると考えています。

 

なので、「どんな結果も受け入れる」という考えには合点が行きましたが、「ただただ受け入れる」という受け身の姿勢を認めることはできませんでした。

 

 

 

3. やることをやった上で、その結果を受け入れる

どんな結果も受け入れるが、受け身は嫌だ。

そんなわがままを叶える考え方、幸せな人生の定義はないかと探していました。

 

「納得のいく生き方をすること」

 

これなら、そんなわがままを満たすことができるのではないかと思い立ちました。

 

努力はする、その結果が望んでいたものならそれで良いですね。

そうでなくとも「できる努力はやったから仕方ない」と思うことができれば、不満足を受け入れることができるし、後悔することもありません。

 

やるだけのことはやった上での結果を、そのまま受け入れる。

それを表す言葉が「納得」でした。

 

 

 

4. 「ナットク人生」を過ごすには、「考えること」が必要

「幸せな人生とは、納得のいく生き方のできた人生だ」

という考え方が、今の僕には腑に落ちています。

スットンと。

 

では、そのような「納得のいく人生」を生きるにはどうすればよいのでしょうか。

一言でいうと、それは「考えること」だと思います。

 

「人生の岐路において選択を迫られたとき、自分の選択に納得するためにはどうしたらよいか」という視点で考えました。

その答えは、考えうる選択肢を吟味すること、つまり考えることです。

 

その過程では、インターネットや人脈を活かした情報収集や、世の中の動きを含んだ未来に対する予測、どんな人生にしたいかという価値観などに重きが置かれます。

 

人生における重大な選択の一つ就職を例に見てみます。

どんな仕事があるかをインターネットや情報誌で調べ、先輩や友達に話を聞く。

どんな世界になっていくかということを考える。

どんな生き方がしたいかを考える。

 

他にも挙げるときりがありませんが、このような過程を踏むと思います。

そして、「納得のいく選択」を取るわけです。

 

世の中のすべての仕事を調べることはできませんし、他人の話はあくまで他人のフィルターを通して語られるものです。

どんな人生にしたいという価値観も生きていくうちに変わっていくことでしょう。

 

したがった、自らの選択が常に、また永久に正しいということは決してなく、時には満足のいかないこともありますし、後悔もします。

しかし、納得のいく選択を取ることのできるように考えたあなたは「納得のいく選択」をしているはず。

 

なので、その不満足や後悔も受け入れることができます。

集めることのできる情報はすべて集めた。

信頼できる先輩の話だったから信用した。

当時はそのような人生を生きたいと思っていた。

だから、「仕方ない」。

 

 

 

人生は、選択に次ぐ選択の日々です。

 すべてのことに「納得のいく選択」をすることは不可能です。

僕はそう思っています。

 

しかし、たとえ納得のいく選択ができなくても、あの時の自分はそこまで頭が回らなかったと「納得」することができたら。

「過去の自分」を責めることなく、受け入れてやることができるのではないでしょうか。

 

また、自らがコントロールできる唯一の存在「現在の自分」についても、「納得のいく選択」をするように考えれば、「未来の自分」は幸せに思ってくれることでしょう。

 

そして最終的に、自分の人生が幸せだったかどうかを判断するときは、死ぬときだと僕は思っています。

 

だから僕は「幸せな人生とは、死ぬときに今までの生き方に納得のいく人生である」と思っています。

 

「納得のいく終わり」を迎えることができるように、日々「納得のいく選択」のために考えて、行動していきたいものです。

 

今の僕が思うには「シアワセ人生とは、ナットク人生」なわけですから。

 

 

 

チャンチャン♪

 

 

【Fiction】101人の俺。

 「あー、もう一人の俺がいたらなー。」

 人は叶いもしない夢を口にすることがある。それが叶わないことは誰しもが知っている。本人も重々の承知だ。しかし、言わずにはいられない。それが人で、ヒトという生き物だ。叶わない願いと知っていても、それを口にすることで、叶わないことを確認する。それで自分を納得させる。
 「あぁ、やっぱり叶わないんだ」


 「叶」という字は「口」と「十」という二部構成だ。人はこう言う。
 「「口」に「十」回出して言うと書いて「叶う」。口に出せば夢は叶う。」
 と。本当だろうか。十回口に出して言えば夢が叶うとは思わないが、口に出すことは大事だと俺は思う。


 「夢」というと少し大げさな気がするので、「やりたいこと」と置き換えて考えてみよう。「やりたいこと」は何でもいい。ゆっくり寝たいとか、美味しいものを食べたいとか、ダイヤの指輪を手に入れたいとか、イタリアに行きたいとか。本当に何でもいい。そしてそのことを口に出してみよう。口にすることのメリットは二つあると俺は思っている。
 一つ目は、自分に責任が生まれるということだ。口に出したからには、その「やりたいこと」に向けて歩みを進めないといけないと思うだろう。そうだろ? そうでないと、ただの口だけ人間というレッテルを貼られてしまう。貼られてしまうというか事実だが。歩みを進めると「やりたいこと」の実現に近づく。それは理屈として当然だ。
 二つ目は、誰かが助けてくれるかもしれないということだ。あなたの「やりたいこと」は、あなたが口にしない限り周囲の誰もわかりやしない。わかってくれやしない。それは当然だ。他人の気持ちを完全にわかる人はいない。あなたの「やりたいこと」を知った周囲の人は、自分にできることがあるかもしれないと支援を申し出てくれる可能性が生じる。あくまで可能性だが口にしないと、この可能性はゼロのままだ。そして「支援」があれば、「やりたいこと」の実現に近づく。これも理屈として当然だ。

 例えば、「ゆっくり寝たい」を例にとってみよう。比較的実現しやすい「夢」だ。まずは「ゆっくり寝たい」と口に出す。ゆっくり寝るための努力をしようとなる。早くお風呂に入るとか、目覚ましかけないとか。そして周りが支援してくれる。お風呂先に入っていいよとか。さぁ、あとは早く寝て、ゆっくり眠るだけだ。


 とは言っても「もう一人の俺」がいるはずなんかもなく、降ってくるはずなんかもなく。前述したように叶いもしない。

 しかし、僕の夢は叶ったのだった。


 とある大学の二年生。一人暮らし。山岳部。近所のイタリアンでキッチンのアルバイト。
 研究室では地球環境保全の勉強をするつもりだ。俺は自然が大好きだ。地球からの恩恵に対する感謝を体現し、それを後世にも残していくために、環境保全学者になりたい。大学院への進学を決めている俺はそろそろ勉強に力を入れなくてはいけないと思っている。そこそこ慣れてきた一人暮らし。だが、自分のことをすべて自分でやるというのは楽ではない。親は偉大だ。部活では上級生の引退を控え、部の中心を担うポジションになってくる。俺は(その人望から)部長に任命される可能性が高いと巷で噂になっている。アルバイトは大学に入学したときから始めて、中堅の働き盛り。学業、家事、部活、アルバイト。
 「学生には時間がある」とはどこのどいつが言ったのか。それは学生の定義には含まれていない。と俺は思う。すべてやるべきことで、やりたいことだからそれでいい。それでいいのだが、時に一人ではギリギリな時もある。

 だが、今日から俺は二人だ。そいつは僕の部屋にある姿見から出てきた。それはアルバイト先の先輩山下さんがくれたものだ。山下さんは男だが長く伸ばした髪を頭の後ろで束ねている。伸ばしているのは髪だけでなく、ひげもボサボサだ。しかし鼻の下は例外だ。いつも仏頂面で、仕事に必要なこと以外はほとんど口を開かず、もくもくと働く。どこで習ったか知らないが、山下さんの作るピザは世界一だ。と俺は思う。俺と山下さんが働くイタリアンは隠れ家風の一軒家の一階にあり、オシャンティーだ。そして地元の人達の知る人ぞ知る名店で、どこのどいつだか、おキレイな女性が一人で山下さんのマルゲリータを食べに来ることも少なくない。
 そんな山下さんがある日、店を辞めた。俺にその姿見をくれた翌日だった。山下さんは辞めるとは言わなかった。少なくとも俺には。まさに読んで字のごとくフラッと出て行った。そして帰って来なくなった。今思えば、山下さんは猫だったのかもしれない。

 俺はバイト中、忙しくなければ店長とよく話をする。山下さんはそこにいても話には入ってこようとしない。
 「俺、最近鏡ほしいんですよねー。体全体が映るおっきいやつ。男は持ってるやつ少ないかもしれませんけど、今のご時世、男も身だしなみが大事ですよ。」
なんて。何の根拠もない持論、そして姿見を手に入れるという「やりたいこと」を恥ずかしげもなく口に出していた。
 それから一週間ほど経ったころ、山下さんがめずらしく話しかけてきた。
 「姿見、やるよ。俺の。」
ただ、それだけ。

 翌日、山下さんは店先までその姿見を持ってきていた。それは思っていたより軽く、大人の男ひとりなら簡単に持ち出すことができた。その日はバイトが休みだった俺はありがたくそれをいただき、山下さんに感謝を伝え、隠れ家風イタリアンを後にした。


 姿見をもらって来たその日、俺はそれに全身を映し眺めた。昔からそうだ。手に入れたものはすぐに使いたくなる。服を買って来ればすぐさまファッションショーが始めり、翌日はそれらでコーディネートする。それが俺の性分だ。姿見は俺の理想に限りなく近く、大変気に入った。一通り楽しんだ後、俺は眠りについた。


 翌朝、初めて出会ったもう一人の俺は当然、俺にそっくりだった。そしてなぜか俺の言うことをよく聞く。その日以来、俺は大学の授業への出席とアルバイトをそいつに任すことにした。つまり俺は簡単な家事をこなしつつ山岳部の活動、すなわち登山に専念することを決めた。こうして、俺と俺の奇妙な二人暮らしが始まった。


 思ってもみなかった。


 お金が貯まらないのだ。二人の人間が暮らすには当然、二人分の食費がかかる。洗い物も洗濯も二倍。しかし働いているのはもう一人の俺だけで、アルバイト一人の収入なんぞたかが知れている。大人の男二人を養うので精いっぱいだ。さらに山に行くには金がかかる。交通費、食費、装備費、山小屋に泊まるなら宿泊費もいる。そのための資金は一向に貯まる気配がない。
 そして何よりもゴミが二倍出るのだ。二人の人間が暮らせば、ゴミが二倍になるのも当然だ。そこまで考えが及ばなかった自らの浅はかさを俺は嘆く。俺は地球環境保全を勉強しておきながら、自らの欲望のままに「もう一人の俺が欲しい」と願い、それを叶えてしまった。自分の都合しか考えていなかった。
 人間が生きていくには、それ相応のエネルギーが必要で、それを俺たちは自然環境から頂いたり、自然環境を犠牲にして得ている。俺が二人いることは、二人分、地球に負担を掛けているということでもあったのだ。

 「もう一人の俺がいたら」
 時間に追われ、あくせく働く現代社会において、多くの人が一度は思ったことのあることかもしれない。少なくとも俺はそうだった。けど、今の俺は違う。


 今日は第三火曜日。粗大ごみの日だ。俺は山下さんからもらった姿見をたたき割り、不用品の紙を貼り、ゴミ収集所まで運んだ。

 学業、家事、部活、アルバイト。今日からまた忙しい日々が始まる。俺は、それらを一人でこなす。でも、それは俺が自ら選んだ生活。しんどくなればどれかを辞めたり、比重を変えたりしたらいい。考えて、上手くやればいい。もう俺はもう一人の俺を望まない。

 自分の力で、できる範囲で生きていく。考えて、工夫しながら生きていく。そう決めたんだ。
 さよなら、もう一人の俺。ありがとう。

 

【Movie】1月観た映画。

1月は目標の4本/月を観ることができませんでしたー。

本をいっぱい読んでたからかしらん。

 

yokkon.hatenablog.com

 

僕は映画と本なら、どっちかというと本の方が好きです。

なので、時間があれば読書を優先してしまう結果、映画を観ることは二の次になってしまう傾向が強いのです。

 

しかし、おもしろい映画・勉強になる映画があることは事実ですし、映画を観ている時の没入感はまた読書とは違う気持ち良さがあります。

そして、映画に関する知見を広めたいとの思いで、4本/月の映画鑑賞を目標としています。

 

先月観た映画3作品はこちら。

 

1. イエスマン

2. あと1センチの恋

3. 箱入り息子の恋

 

 

 

1. イエスマン

人のお願いに対して、とにかく「イエス」と答えるようにしておくと良いことがあるという内容でした。

 

もちろん、すべてのことに「イエス」と言うのは極論で、言えないときもあるし、それで良いと思います。

 

しかし、総じて「ノリの良いこと」は大事だと僕は思っています。

そのような考え方を持つ僕にとっては、共感できる内容でした。

 

「イエス」という頻度が高く「ノリの良い」人に対して、周囲の抱く印象は明るく、良い方向に向かうと思っています。

そのような人にはお誘いも舞い込むようになる気がしてなりません。

「ノリの良い」人はよく誘われるので、人や話が集まり、それは僕の考える楽しい人生なのです。

 

この考えはまだまとめ切れていなくて、うまく言い表すことができませんが、僕の中では結構大事な考え方です。

ノリ良く生きたい。

 

「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」

踊っている阿呆を見つめたら、乗っかれる阿呆でありたい時もあります。

いつもじゃないけどね。

 

 

 

2. あと1センチの恋

えっと、、、あんまり覚えていないのですが笑。

幼馴染みの男女のすれ違いを描いた作品だったと思います。

 

ちょっと前に同じようなストーリーの映画を観たので、ちょっとごっちゃになっています。

 

主人公は自分を愛してくれない幼馴染みに思いを寄せるわけですが(たしか)。

結局は自分を愛してくれる人を愛するのが良いんじゃないかなーと思うことがあります。

そうすれば、少なくとも一人は幸せにすることができますよね。

 

 

 

3. 箱入り息子の恋

ブルーレイで映画を買うとこんなに高いんですね笑。

なんか得点がついているんかな。

 

自宅と職場を行き来するだけの生活、仕事でも向上欲がなくただこなすだけ、プライベートは家にこもりゲームとカエルの世話。

そんな主人公が目の不自由な女性に恋をする。

彼女との日々の中で、主人公の生活に色がついていく。

 

障害と純愛という真面目なラブストーリーにちょいちょい挟んでくるギャグが小気味良く、真面目な話を真面目過ぎずに語ってる感が好きです。

 

「僕には障害がありませんが、欠点なら山ほどあります」

というセリフから、障害と欠点を同列に見てしまう一面もありますが、それぞれに何かしら特徴はあって自分がカバーできるとこはして、相手にカバーしてもらうところはしてもらえばよいんだ。

というメッセージを感じました。

 

 

 

僕は基本的にAmazonプライムを利用して映画を観ているので、観ることのできる作品はかなり限られています。

しかし、上記したように面白い作品は多々ありますし。

どんな作品からも学ぶことであったり、共感するところであったり、何かしらの発見を引き出すことができると僕は思っています。

これからもいろんな視点から勉強し、感動したいと思います。

 

 

 

チャンチャン♪