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Bunshuが歩く。

歩くように日々考えていること、思っていること。思いつき。

京大のアカデミック(な、フェスティバルが行われる)デイを訪ねて。

2014年9月28日、京大アカデミックデイ、それはまさに「フェスティバル」であった。

 

京都大学吉田キャンパスにある百周年時計台記念館の2階へ上がると、すさまじい熱風が私を襲った。

(もちろん空調は効いていて快適でした。)

 

アカデミックといえば、身なりを気にしない、世間の目も気にしない、一日中一年中、ただただ研究に没頭している浮世離れした連中の集まり、といったイメージを未だ持っている人はいないだろうか。

しかしそこには自分の夢を語るさわやかな笑顔と、それに惹きつけられる若者(大学生や高校生、中学生、小学生までも!!)や一般の方々の姿があった。

 

国際交流ホールの中央には昔懐かしい「ちゃぶ台」が並んでいた。

一卓一会。

文字通りの「膝詰め」状態で、熱意のあまり唾が飛んでこないかと心配になるほどの至近距離で議論が行われている。

(もちろん比喩です。)

高尚な学問の世界とは思えない、パソコンがある以外は一昔前の茶の間の風景だ。

 

その左右には沢山のパーテーションが広がっていた。

ポスターや実物、関連書籍を並べて自分の研究を「よってらっしゃい、見てらっしゃい」とまるで祭りの夜店のごとくお客の訪問を待ちわびる研究者たち。

その呼び込みに思わず私も「立ち話」。

気づけば1時間は話していただろうか。

 

研究者と私たち参加者との間の壁はイッサイガッサイ取り払われていた。

 

「祭りなんだから一緒に踊ろうや」

そういわんばかりの会場の雰囲気に、こちらもワクワクが止まらない。

 

奥の部屋ではぐるっと円陣を組んで「座談会」。

研究者自身も異なった分野の研究者と話せて楽しそうだ。

部屋の端には何やらずっと絵を描いている人がいる。

「グラフィックファシリテーション」といって座談会の内容を絵でつないで「絵巻物」にしていく。

頭の中のモヤモヤ、会場のモヤモヤ、上手く言葉にできない思いをものの見事に表している。

アカデミックとアートとの間にも壁はなかった。

 

そのとなりの部屋には研究者が選び抜いた本がずらりと並べられ「本棚」となっていた。

研究に関するような小難しい専門書ばかりでなく、研究者がこの道、つまりアカデミックへ進むという決断を助けた「座右の本」が私の興味を引いた。

今、私はちょうど将来の選択を迫られるような時期なのだが、彼ら研究者にも同じ時期があったのだと。

どのような書籍があるのかと眺め、パラパラとめくり、この研究者の話が面白そうだと、再び国際交流ホールへと足を向ける。

 

それぞれの部屋にはもちろん壁があり、ドアがあって仕切られているのだが、その壁を感じないかのように行ったり来たり、ぐるぐると歩き回った。

ちょうど盆踊りの太鼓やぐらの周りをぐるりと回るかのように。

 

京大アカデミックデイはお祭りのようであり、お祭りには身分も何も関係ない。

みんなが一緒になって楽しむこと、それだけだ。

 

祭りが終わり、帰路に就く。

アンケートを出し忘れ、記念品をもらい損ねたことに気が付いた。

浮かれすぎだったのだろうか。

しかしそれももう後の祭りである。

 

アカデミックな祭りばやしが聞こえてきただろうか。