Bunshuが歩く。

歩くように日々考えていること、思っていること。思いつき。

【Fiction】君の波になる 

「私の波になりなさい」

 

君の声が青空のもとにファンファーレの如く鋭く響く。ファンファーレ。当時、君と僕は5歳。サーフィンごっこの真っ最中だ。

 

 

君と僕は幼馴染み。だけど、君と僕は馴染まない。君は水で、僕は油。みたいなもの。混ざり合うには乳化しなければならない。洗剤のような、界面活性剤があるといい。それが海だったのかもしれない。

 

 

君は海から生まれたようなものだ。海の近いこの町で僕らは生まれ、育った。互いの父親がサーフィン好きで、二人は海で出会った。当然、僕たちは海で育てられ、海が好きだった。親の意向に多くの子どもたちの趣向が左右される。君の名は波美(なみ)で、僕の名は海実(うみ)。親の思考の単純さには困ったものだ。

 

 

君が歩けば夏が来る。君は夏を連れて歩くような人だ。そして僕はよく君に連れられ、歩いた。小さいときは毎日遊んだ。家族のように育った僕らもどうやら思春期、二次性徴という壁には勝てないようで。中学に入ると次第に距離を置くようになっていった。

 

 

奔放な君はなぜかよくモテた。男たちはよく君に釣られていた。君に憧れ、恋い焦がれ、涙を流して飲んだ男は数知れず。僕はその話を聞くたびに、寄せては返す波を思い浮かべていた。彼の元に迫ってきた波は、次の瞬間にはすっと引いていく。君は名前負けしていない。

 

 

一方、真面目な僕はなぜかまったくモテなかった。連絡はマメにするし、誕生日や記念日を忘れることなんてあり得ない、約束は守る。というか守るもの、それが約束だ。ヒトは大人になる過程で、約束を守ることを忘れる。洗濯、掃除、料理とそれに付随する洗い物、家事はなんでもできる。因みに君の部屋は脱ぎ散らかした洗濯物であふれかえっていて、中一の時に君がくれたバレンタイン・チョコには歯が折れるかと思った(君自身もそれをわかっていたのか、以来、手作りのものを食べさせてはくれない。ありがとう)。

 

 

なぜか僕が有してしまった、その母性と包容力はまさに海だ、と君は笑って言ってくれた。どうやら僕は名前負けしていないらしい。が、しかし僕は母親ではなく父親になりたい。なれるものなら。世の中の理不尽さには本当に呆れたものだ。真面目が損をする世界を変えてくれる大統領はいないのだろうか。

 

 

あまりの差を僕は嘆く。あげく、適当な女の子と付き合うという、相手からしてみたら最低なことをしていた。それでも君に見てほしかったのだ。

 

 

面白い話がある。モテるメダカとモテないメダカを比較した研究だ。二つの透明な板で三つの小部屋に仕切った水槽を用意する。両端の部屋には雄のメダカ、真ん中の部屋には雌のメダカを入れる。端の部屋の一方にだけ、雌のメダカを入れる。これで端の部屋から順に、雄、雌、雄と雌のメダカが入った状態になる。当然、雄と雌のメダカが入った水槽では、生命の営みが催される。それが生き物ってもんさ。真ん中の部屋の雌はそれを見ている。雄と雌を入れていた部屋から雌だけを取り除き、水槽を三つに分けていた板も取り除く。するとどうだろう。真ん中の雌はさっきまで、生命の営みに明け暮れていた雄とペアを作るらしい。つまり、モテる雄はさらにモテるということだ。

 

 

モテる君はさらにモテ(君は雄ではないが)、モテない僕はさらにモテない。ヒトもメダカも同じ生き物なのだと、本を眺めながら妙に納得してしまう自分がいた。そして実践してみようとしてしまう阿呆は僕である。同じ阿呆なら踊らにゃ損々。

 

 

そんな君が唯一、惚れて惚れてどうしようもないものがあった。サーフィンだ。さっきも言ったが、君と僕は海で育った。君は波に乗ることに生きる価値を見出し、僕は海洋生物の研究に自分の可能性を探り始めた。僕らは今、高校3年。僕は東京にある有名大学の有名教授のもとで海洋生物研究に勤しむと決めている。〇〇することに決める、と意外と目標というものはぐっと近づく。と僕は思っている。多くの人はやると決めない、あるいはやると決めたのにやらないだけで、あることをやると決めて一歩踏み出すと、次の一歩が見えてくる。一歩を踏み出さない人には、次の一歩はない。そのことを知っている人はなぜか少ない。学校でも教えてくれない。

 

 

寒い冬が開ける前から受験に向けて勉強中である。君の進路は?と聞くと、君は「波のある方」と答えた。どうやらプロのサーファーを目指すらしい。彼女は、この夏に近くの海で開催されるサーフィン大会への出場を決めている。なにやらそこで上位に組み込むことが、サーフィンを生業にしていくことへの条件だとか。そんなわけで、徐々に汗ばむようになり、セミの姦しい愛の叫び(鳴くセミは雄だが)がじりじりと迫っている今日この頃、僕は猛勉強、君は猛サーフィンなわけで。君にとっての本番は、もうそろそろなわけだ。

 

 

僕は塾に行かない派閥に入っている。メンバーは今のところ、僕一人だ。ひょっとしたらもっといるかもしれないが、受験とは自分との戦いで、自分との戦いには自分一人で臨む。馴れ合いはいらない。慣れない環境よりはいいだろうと、僕は自分の部屋で勉強するのが好きだった。

 

 

今日もセミの愛のささやき、というより読んで字のごとく雄叫びはやかましい、と鰹節の如く集中力を削られながら机に向かっていた。ちなみに僕の部屋は2階にある。部屋の窓からは海を見渡すことができ、今日もサーフィンをしたり、ビーチで遊んだり、BBQをしたり、日光浴をしたり、あんなことやこんなことをしたりしている人がたくさんいる。どこかに君もいるのだろうか、と鉛筆削りの如く集中力を…以下同文。

 

 

そんな僕の集中力が完全に途切れた。バタバタとうるさい足音を立てて誰かが2階に上がってきたからだ。僕の部屋に近づいてきたその足音が止んだと思ったら、次はドンドンとうるさいノック音を立てて誰かが僕の部屋の扉を叩いた。

 

「波美ちゃんがケガしたって!」

 

たぶん、母は他にもいろいろ言っていた。だが、僕の鼓膜が揺れることはなかった。いや、揺れたが、脳はそれ以上に揺れていた。僕にとってはそれだけの情報で十分で。それ以上は入って来なかった。かろうじて入ってきた病院の名前という情報を頼りに、僕は駆け出した。

 

 

真っ白だ。病院はたいてい、真っ白だ。誰も彼もそこに好きなように絵を描くことができる。病院のベットにはその数だけのエピソードがあって、お見舞いに来る人、診察を受けに来る人も含めると無数のストーリーがある。誰も彼もが自分の描きたい絵を描けるように病院は真っ白なキャンバスだ。

 

 

今の自分の気持ち、今の自分が残したいもの、なんでも描いていい。小さな白いキャンバスでできた箱の中に君はいた。白いベットの上で、白い布団を首までかけられて、白い枕にその可愛げな頭を乗せて、眠っていた。君は今、どんな夢物語を描いているだろうか、その白いキャンバスに。

 

 

母が慌てていたから、ケガをしたばかりだと思っていたが、僕が鰹か鉛筆かになっているころにはとっくに病院にいたらしい。いろいろな検査で疲れたのか君は世界で一番重力を感じているかのように、ピタッとベットに吸いつき、離れない。サーフィンの練習中に接触事故を起こし、頭を打ったらしい。そして腕の骨も折れているのだとか。

君はまるで眠れる海のリトルマーメイドだ。美しいだけじゃない、まったく起きそうにない。君の肺が膨らみ空気を吸い込み、君の肺がへこみ空気を吐き出す。まるで寄せては返す波のような姿に僕は目を奪われる。僕らも大人になったなぁ。

 

 

病院の中は、愛の叫びも遮断されている。静かだ。いつしか僕は、夢と現実のはざまをウトウトしながらウロウロしていた。

 

 「出てって」

 

君の声だ。良かった。元気そうで。出てって。あぁ、出て行ってという意味か。つまり僕がこの病室から廊下へ行くことを君は望んでいるんだ。わかった。わかった。え?

 

 「え?」

 「いいから、出てって」

 

眠りから覚めた美女は、その美しき顔を見せてくれることはなかった。外を見ている。君の髪は短い。横顔は見える。たぶん、光っていた。

 

 

君が怪我をしてから僕は会ってもらえなくなってしまった。それからひと月以上たった。もう病院にはいないだろう。キャンバスに描くべきものはすべて描いてしまったに違いない。

 

 

君が怪我をした後サーフィンの大会は終わってしまった。当然、君は出ていないはずだ。僕は何の力にもなれなかったというわけだ。

 

 

君に会いに行こうとしても良かった。けど、君はそーいうお節介を嫌うことを僕は重々知っていた。君のことは誰よりも僕が知っている。君の苦しみだって、一番わかっているのはきっと僕だ。だから僕は何もしない。

 

 

世の中には二つのやさしさがあると僕は思っている。一つは「プラスのやさしさ」。もう一つは「マイナスのやさしさ」。わかりやすいのは「プラスのやさしさ」。誰かに何かをしてあげるとか、物をあげるとか、与えることによって相手に優しさが伝わるからだ。ただ、難しくとも大事なのが「マイナスのやさしさ」。何かをしないとか、何かを除いてあげるとか、与えないあるいは奪うことによって相手に優しさが伝わるのだ。

 

 

例えば、荷物を抱えたおばあちゃんがいるとしよう。おばちゃんを助けようと思って、荷物を持ってあげるのが「プラスのやさしさ」だ。これはわかりやすい。傍目にもその人が優しいことはわかる。一方で、「マイナスのやさしさ」の場合はどうだろう。荷物を抱えたおばあちゃんがいることを認知はしている。しかし、荷物を持ってあげないという判断をする。それは、自分でもてる程度の荷物を持ってあげることは、おばあちゃんのためにならないと考えた結果だ。荷物を持ってあげることでおばあちゃんの腕力は弱って、どんどん持てる荷物の量が減っていくかもしれない。そうするとおばあちゃんが人に頼らないといけない機会が増えてしまう。結果として、不便な生活を強いられるかもしれない。

 

 

かもしれない。誰にもわからないのだ。結局、「プラスのやさしさ」も「マイナスのやさしさ」もエゴでしかない。本当の意味で、他者の気持ちなんてわかりようがないから、それは仕方ない。大事なのは自分はよくよく考えたか、ということ。最初からプラスの面しか見ていなかったか、ということ。

 

 

僕は君のことをよく考えている。考えた結果。今回はマイナス面をとった。それが君のためだと考えた結果だった。それが良かったのか、悪かったのか、誰にもわからない。

 

 

そんな悶々とした気持ちが渦巻いていた。こうして僕らの高校生最後の夏は終わった。

 

 

セミの次はスズムシやらコオロギやら、秋は秋で姦しい。この町は年中、愛で溢れている。でも秋の姦しさはなんだか風流だ。思わず聞き入ってしまい、やはり勉強は進まない。

 

 

そんな秋の夜長を待ちわびていたある日の夕方、秋の虫たちの愛のささやきとは明らかに異なる電子音が、僕の部屋にけたたましく響いた。画面をちらりとみると待ち望んだマーメイドの名前がそこにはあった。小さな小さな点々が寄せ集まって、たがいにくっつき、必死になって、その人からの着信を僕に伝えてくれた。ありがとう点々。

 

「もしもし、私」

 

僕が電話を出ると、その人は名前を告げずに自分の要件を伝えて切ってしまった。

 

「寄せては返す、、、ね」

 

思わず独り言を垂れる17歳の夜。

 

 

僕たちの家は隣同士だ。なのに君は浜辺で会うことを指定してきた。どうせ道すがらどっかで出会うのが落ちだろう、という僕の予想とは裏腹に、君はおろか誰一人として外を歩いている人はいなかった。虫たちだけが語り合っていた。

 

 

一定のリズムを刻み、僕の右足と左足が次は俺の番だと前に出る。そしてリズム感があるのかないのか、僕の心臓はそれよりもさらに速いテンポでリズミカルに鳴り、それはどんどん加速していく。早く君に会わせろと言わんばかり、僕のハートが体の真ん中よりも少し左側にある。あとから思えば、この時には僕の腹は決まっていた。

 

 

浜辺はまだ明るい。しかし今日は少し肌寒い。

 

 

いったい誰に頼まれたのか、海辺にそびえた電灯はこんな寒い日でも変わらず道を照らしている。煌々と。暮れゆく太陽にに燃やされて白いワンピースが真っ赤になりながらも自らを主張する。もはやハートも燃やしてしまった僕が立ち尽くす。もう何も聞こえない。君しか見えない。

 

 

沈黙の時間が流れる。君は僕を呼び出しておきながら、何一つ語ろうとしない。背中を向けたままだ。今は引き潮のようだ。

 

 「ごめんなさい」

 

彼女が海に向かって叫ぶ。謝るときは人の目を見て言いなさい。5歳の君が僕によく言ったセリフだ。人は忘れる生き物で。なんだかんだ自分には甘い。

 

 

そして僕は、君に甘い。君を許せないはずがない。僕も人の話を聞かないので、今日のところはおあいこだ。

 

「君が誰かのものではないことはわかってる。けど僕はこう言いたいんだ。僕の波美になってください」

 

水平線へ太陽が沈んでいく。どんだけオレンジやねん、エセ関西弁で思わず突っ込みたくなるほどの夕日が眩しい。風になびく長い髪。病院にいる間にすっかり伸びてしまったようだ。乾くのが速いから、と君はいつもショートカットだった。とても似合っていた。でもロングヘアの君も可愛い。可愛い君以外、見たことないし。可愛くない君を、僕は君として認めない。少し遠くに立っている君のシルエットが美しい。初めて意識した君の曲線美は筆舌に尽くしがたい。どんなデザイナーも芸術家も漫画家も描けないだろうそのカーブに、僕は唾を飲み込んだ。

 

「嫌だ」

「え?」

 

少し間が空いてから僕の鼓膜を揺らしたその三文字に脊髄で応えた。予想だにしなかった。いや、僕が悪い。予想すべきだった。君は波美であり、波だ。寄せては返す。怒涛に迫って来たかと思えば、すっと引き、手の届かないところでニッコリ笑う。今まで僕は君に尽くしてきたつもりだった。僕の想いを小出しにして、君に向けた眼差し、発する言葉、一つ一つの所作に、それはそれは丁寧に想いを包んで、乗せて、運んできた。つもりだった。届いていると思っていた。

 

「あたしは、あなたの波にはならない。なりたくない」

「・・・」

 

君がそこまで悪女だとは思ってもみなかった。予想だにしなかった。もっと優しい人だと思っていた。寄せては返すが、迫る波は心地よく、引くときは誰も傷つけずにすっと引いて、ニッコリ笑う。どうせならその性悪は小出しにしてほしかった。それなら一つずつ小さな波を越えていけていたかもしれない。一気に大きな波が迫ってくると、僕は耐えることができない。

 

「その代わり、お願いがあるの。ねぇ、あたしの波になって。あたし、もう一度、波に乗りたい」

「え?」

 

僕の脊髄が再び答える。いつの間にか辺りは真っ暗になっていた。太陽は今日もここ日本での仕事を終え、また次の国に朝を告げに行った。夕日が沈んだ。遠く離れた灯台と律儀な電灯の微かな明かりの中でも、君がこっちを向いているのが分かった。暗闇になびく風、キラキラした二つの瞳がこちらを見ている。その眼に涙がたまっているように見えた。海だ。君のロングヘアが顔に触れる。くすぐったい。君の瞳が目の前にある。美しい。つま先とつま先がゴッツンコする。うっすら海に映る影が一つになる。僕は言った。

 

「僕が、君の波になる」

 

 

それからしばらくして、君と僕は同じ屋根の下で暮らすようになった。さらにしばらくして、同じ屋根の下での協働生活に一つの小さな命が名乗りをあげて、やがて産声をあげた。

 

 

名乗りをあげたといったが、その名をつけたのは僕ら。親の意向に多くの子どもたちの趣向が左右される。僕らは海で生まれ、出会い、育った。君の名は波美で、僕の名は海実、そして新たな仲間、彼女の名は渚。親の思考の単純さには、本当にもう困ったものだ。

 

                                                                        Fin.