Bunshuが歩く。

歩くように日々考えていること、思っていること。思いつき。

【Fiction】101人の俺。

 「あー、もう一人の俺がいたらなー。」

 人は叶いもしない夢を口にすることがある。それが叶わないことは誰しもが知っている。本人も重々の承知だ。しかし、言わずにはいられない。それが人で、ヒトという生き物だ。叶わない願いと知っていても、それを口にすることで、叶わないことを確認する。それで自分を納得させる。
 「あぁ、やっぱり叶わないんだ」


 「叶」という字は「口」と「十」という二部構成だ。人はこう言う。
 「「口」に「十」回出して言うと書いて「叶う」。口に出せば夢は叶う。」
 と。本当だろうか。十回口に出して言えば夢が叶うとは思わないが、口に出すことは大事だと俺は思う。


 「夢」というと少し大げさな気がするので、「やりたいこと」と置き換えて考えてみよう。「やりたいこと」は何でもいい。ゆっくり寝たいとか、美味しいものを食べたいとか、ダイヤの指輪を手に入れたいとか、イタリアに行きたいとか。本当に何でもいい。そしてそのことを口に出してみよう。口にすることのメリットは二つあると俺は思っている。
 一つ目は、自分に責任が生まれるということだ。口に出したからには、その「やりたいこと」に向けて歩みを進めないといけないと思うだろう。そうだろ? そうでないと、ただの口だけ人間というレッテルを貼られてしまう。貼られてしまうというか事実だが。歩みを進めると「やりたいこと」の実現に近づく。それは理屈として当然だ。
 二つ目は、誰かが助けてくれるかもしれないということだ。あなたの「やりたいこと」は、あなたが口にしない限り周囲の誰もわかりやしない。わかってくれやしない。それは当然だ。他人の気持ちを完全にわかる人はいない。あなたの「やりたいこと」を知った周囲の人は、自分にできることがあるかもしれないと支援を申し出てくれる可能性が生じる。あくまで可能性だが口にしないと、この可能性はゼロのままだ。そして「支援」があれば、「やりたいこと」の実現に近づく。これも理屈として当然だ。

 例えば、「ゆっくり寝たい」を例にとってみよう。比較的実現しやすい「夢」だ。まずは「ゆっくり寝たい」と口に出す。ゆっくり寝るための努力をしようとなる。早くお風呂に入るとか、目覚ましかけないとか。そして周りが支援してくれる。お風呂先に入っていいよとか。さぁ、あとは早く寝て、ゆっくり眠るだけだ。


 とは言っても「もう一人の俺」がいるはずなんかもなく、降ってくるはずなんかもなく。前述したように叶いもしない。

 しかし、僕の夢は叶ったのだった。


 とある大学の二年生。一人暮らし。山岳部。近所のイタリアンでキッチンのアルバイト。
 研究室では地球環境保全の勉強をするつもりだ。俺は自然が大好きだ。地球からの恩恵に対する感謝を体現し、それを後世にも残していくために、環境保全学者になりたい。大学院への進学を決めている俺はそろそろ勉強に力を入れなくてはいけないと思っている。そこそこ慣れてきた一人暮らし。だが、自分のことをすべて自分でやるというのは楽ではない。親は偉大だ。部活では上級生の引退を控え、部の中心を担うポジションになってくる。俺は(その人望から)部長に任命される可能性が高いと巷で噂になっている。アルバイトは大学に入学したときから始めて、中堅の働き盛り。学業、家事、部活、アルバイト。
 「学生には時間がある」とはどこのどいつが言ったのか。それは学生の定義には含まれていない。と俺は思う。すべてやるべきことで、やりたいことだからそれでいい。それでいいのだが、時に一人ではギリギリな時もある。

 だが、今日から俺は二人だ。そいつは僕の部屋にある姿見から出てきた。それはアルバイト先の先輩山下さんがくれたものだ。山下さんは男だが長く伸ばした髪を頭の後ろで束ねている。伸ばしているのは髪だけでなく、ひげもボサボサだ。しかし鼻の下は例外だ。いつも仏頂面で、仕事に必要なこと以外はほとんど口を開かず、もくもくと働く。どこで習ったか知らないが、山下さんの作るピザは世界一だ。と俺は思う。俺と山下さんが働くイタリアンは隠れ家風の一軒家の一階にあり、オシャンティーだ。そして地元の人達の知る人ぞ知る名店で、どこのどいつだか、おキレイな女性が一人で山下さんのマルゲリータを食べに来ることも少なくない。
 そんな山下さんがある日、店を辞めた。俺にその姿見をくれた翌日だった。山下さんは辞めるとは言わなかった。少なくとも俺には。まさに読んで字のごとくフラッと出て行った。そして帰って来なくなった。今思えば、山下さんは猫だったのかもしれない。

 俺はバイト中、忙しくなければ店長とよく話をする。山下さんはそこにいても話には入ってこようとしない。
 「俺、最近鏡ほしいんですよねー。体全体が映るおっきいやつ。男は持ってるやつ少ないかもしれませんけど、今のご時世、男も身だしなみが大事ですよ。」
なんて。何の根拠もない持論、そして姿見を手に入れるという「やりたいこと」を恥ずかしげもなく口に出していた。
 それから一週間ほど経ったころ、山下さんがめずらしく話しかけてきた。
 「姿見、やるよ。俺の。」
ただ、それだけ。

 翌日、山下さんは店先までその姿見を持ってきていた。それは思っていたより軽く、大人の男ひとりなら簡単に持ち出すことができた。その日はバイトが休みだった俺はありがたくそれをいただき、山下さんに感謝を伝え、隠れ家風イタリアンを後にした。


 姿見をもらって来たその日、俺はそれに全身を映し眺めた。昔からそうだ。手に入れたものはすぐに使いたくなる。服を買って来ればすぐさまファッションショーが始めり、翌日はそれらでコーディネートする。それが俺の性分だ。姿見は俺の理想に限りなく近く、大変気に入った。一通り楽しんだ後、俺は眠りについた。


 翌朝、初めて出会ったもう一人の俺は当然、俺にそっくりだった。そしてなぜか俺の言うことをよく聞く。その日以来、俺は大学の授業への出席とアルバイトをそいつに任すことにした。つまり俺は簡単な家事をこなしつつ山岳部の活動、すなわち登山に専念することを決めた。こうして、俺と俺の奇妙な二人暮らしが始まった。


 思ってもみなかった。


 お金が貯まらないのだ。二人の人間が暮らすには当然、二人分の食費がかかる。洗い物も洗濯も二倍。しかし働いているのはもう一人の俺だけで、アルバイト一人の収入なんぞたかが知れている。大人の男二人を養うので精いっぱいだ。さらに山に行くには金がかかる。交通費、食費、装備費、山小屋に泊まるなら宿泊費もいる。そのための資金は一向に貯まる気配がない。
 そして何よりもゴミが二倍出るのだ。二人の人間が暮らせば、ゴミが二倍になるのも当然だ。そこまで考えが及ばなかった自らの浅はかさを俺は嘆く。俺は地球環境保全を勉強しておきながら、自らの欲望のままに「もう一人の俺が欲しい」と願い、それを叶えてしまった。自分の都合しか考えていなかった。
 人間が生きていくには、それ相応のエネルギーが必要で、それを俺たちは自然環境から頂いたり、自然環境を犠牲にして得ている。俺が二人いることは、二人分、地球に負担を掛けているということでもあったのだ。

 「もう一人の俺がいたら」
 時間に追われ、あくせく働く現代社会において、多くの人が一度は思ったことのあることかもしれない。少なくとも俺はそうだった。けど、今の俺は違う。


 今日は第三火曜日。粗大ごみの日だ。俺は山下さんからもらった姿見をたたき割り、不用品の紙を貼り、ゴミ収集所まで運んだ。

 学業、家事、部活、アルバイト。今日からまた忙しい日々が始まる。俺は、それらを一人でこなす。でも、それは俺が自ら選んだ生活。しんどくなればどれかを辞めたり、比重を変えたりしたらいい。考えて、上手くやればいい。もう俺はもう一人の俺を望まない。

 自分の力で、できる範囲で生きていく。考えて、工夫しながら生きていく。そう決めたんだ。
 さよなら、もう一人の俺。ありがとう。