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Bunshuが歩く。

歩くように日々考えていること、思っていること。思いつき。

【Book】2月読んだ本。

Book

2月はすごく長かったように思います。

2月の前半に読んだ本、後半に読んだ本で、頭に残っている感覚が違っています。 

 

今月の特徴は、、、何と言っても小説を読まない月であったということです。

個人的にはビックリです。

 

僕は小説と生き物関連(食事・健康なども含めて)の本が好きです。

これらの本を読んでいる時の没入感は、他の追随を許しません。

 

ではなぜ小説を読まなかったのか?

答えは、生き物関連の学術書が面白かったからでしょう、たぶん。

 

そして、今月読んだ本はこちら。

 

1. ヒトと文明

2. 外来種は本当に悪者か

3. GO WILD

4. ゾウの時間、ネズミの時間

5.博士号だけでは不十分

6. リーダーは弱みを見せろ

7. 私がマッキンゼーを辞めた理由

 

学術関連の本が5冊、ビジネス・啓蒙っぽいのが2冊です。

 

 

 

1. ヒトと文明

この本の副題は「狩猟採集民から現代を見る」です。

ここに惹かれてこの本を読みました。

 

僕のイメージでは、狩猟採集民は日々の食料を確保するのにあくせくしていて、農耕民は計画的に栽培を行い安定した生活を送っていた、と思っていました。

 

しかし、先月読んだ「あなたはボノボ、それともチンパンジー?」という本には「アフリカの狩猟採集民の生活ものんびりしていて悪くない」 というような旨の文章がありました。

 

 

それで「ヒトと文明」を読んだわけですが、、、。

狩猟採集民の生活だけでなく、その定義、文化背景、人権問題など、思ってもみなかった世界が溢れ出してきました。

 

当然のことながら、世界には僕の知らないことが山ほどあり、それを少しずつ知っていくことに喜びを感じます。

そういった意味では、刺激的な本でした。

 

この本を読むことで、改めて強く思ったことがあります。

農耕牧畜は確かに安定した食料供給を実現したように思いますが、その負の側面も見つめ、様々なな視点から物事を考えられるようにならないとなーということです。

 

 

 

2. 外来種は本当に悪者か

外来種」ってなんだ?

生物種としてそのような種がいるのではなく、人間が固有の生態系と考えるものの外から入ってくる生き物たち。

 

彼らは生物として生きて、自らの遺伝子を後世により多く残すために戦略を取ってきました。

外来種の侵入も、環境に適したものが残る自然の摂理で、それを防ぐというのはいかがなものか。

自然と人間を切り離して見ていないか。

一方で、固有の生態系を守るというヒトの行動も自然の一つなのか。

どう考えればよいものかと思っていました。

 

んで、この本を読んでも答えは見つかっていません。

 

ただ、現在話題に上がっている外来種問題の多くは、その種自体が悪いのではなく、人間が破壊した生態系にその種が入り込んだだけという例が多いようです。

少なくとも、本書にはそのように紹介されています。

 

生き物自体が悪者ではなさそうという結論になぜか一安心する自分がいました。

その一方で、アフリカやアマゾンなどの「手つかずの自然」と思っていたところも、過去に人間の手が入っていたことが本書で触れられています。

 

これには驚きました。

人間は本当に地球のどこにでもいて、ちょっと多くを占めすぎなのかもしれません。

 

このように一度は破壊された自然も、放置されることでまるで「手つかず」のように再生するようです。

 

しかし、自然は再生できても、種が消えてしまってはその種の再生は不可能です。

種を守るべきなのか、自然の摂理と見放すのか、僕はいまだに選ぶことができません。

 

考えあぐねている間に種が滅んでしまわないように、今は守ることが必要なのかもしれません。

それが僕の暫定の結論です。

 

もう少し、時間をください。

 

 

 

3. GO WILD

この本については唯一、単独エントリーとして少し書くことができました(よかった!)。

 

yokkon.hatenablog.com

yokkon.hatenablog.com

 

現代の生活は、人間の生物学的進化に合ったものではなく、体が適応していない。

という主張をもとに食事・睡眠・運動といった視点から「野性的な生活」のススメが説かれています。

 

特に面白かったのは運動です。

上記エントリーでも触れましたが、長距離を走ることのできる人間の持久力と、自然の複雑さに対応するための複雑な運動が脳を鍛えるという話が印象的でした。

そしてそれらを統合すると、最適な運動は「トレイルラン」だ!という結論に至るのです。

 

コンクリートロードや、ジムの動く床と違って、起伏に富んだ山道で足を踏み出す位置を瞬時に考えながら走ることで脳は鍛えられると、筆者は言います。

 

納得できたので、トレイルラン始めました。

ただ、山を走るという行為はそれだけ山にダメージを与えるということなので、そこの対策を考えていかないといけないと思っています。

 

 

 

4. ゾウの時間、ネズミの時間

体の大きさは違えど哺乳類の心臓が生涯を通じて脈打つ回数はほぼ一定。

しかし寿命は異なる。

寿命の長いゾウの拍動はゆったりと、一方でネズミの拍動は忙しない。

両者には異なる時間の流れがある。

 

これは本書に登場するサイズ生物学の一端にすぎません。

本書には、この他にもなぜそのサイズなのか?サイズが違えば何が違うのか?といった疑問に非常に多岐にわたる回答が用意されています。

 

生物は進化の過程で、自然淘汰によって選別されてきて、今私たちと同じ地球に暮らしているのは選ばれた者たちです。

その選考過程には何かしらの基準があり、たいていの場合、その生き物がその様であるのには理由があるのだと思います。

それをサイズの視点から切り開いていってくれる本書は、1ページ目からずーーーっと面白いです。

 

読書中は、本自体にメモしながら読む派の僕ですが、本書は真っ赤になっています。

 

 

 

5.博士号だけでは不十分

多大な時間と労力をかけて博士号を取ったは良いが、職にありつけない人がいると言います。

本当かよーと思うのですが、そのような人たちは自分の専門研究で博士号を取り「自分の専門研究以外のことはできない」からそういった位置に立たされてしまうと僕は考えています。

 

本書を手に取る前から思っていたことではありますが、専門分野を持ち、それに精通することは当然ですが、その専門研究だけの人間にはならないようにしなければと思います。

専門と言えるものを2つ持てということではなく、研究以外の社会スキルとか常識もいるよねってことです。

 

研究者である間に、人間であり、社会の一員です。

当たり前のことだと思います。

 

 

 

6. リーダーは弱みを見せろ

正直、かなり前すぎて中身の大部分をはっきりと思い出すことはできません。

この本で印象に残っているのは、「モンテッソーリ教育」です。

 

教師(親)がファシリテーターとなり、生徒(子ども)のやりたいことを引き出し体験できる環境を提供するというものだそうです。

 

体験によって学び、自主性を養うことができるという点で僕は共感できる考え方です。

 

本書の本筋とは異なるところに興味を見出してしまいました。

このようなこともあるので、どんな本がタメになるのかはわかりませんね。

 

 

 

7. 私がマッキンゼーを辞めた理由

「生まれ変わったらしたいこと」「人生がもう一度あればしたいこと」それが今本当にしたいこと。

思っていた以上に、刺さりました。

 

東大からマッキンゼー、そしてお笑い芸人へ。

苦悩の末、エリートコースを外れた著者。

 

案外普通の人(行動がぶっ飛んでいないという意味で)で、普通の人なりの成功体験、

苦労体験、そして「やりたいこと」への決断がおそらく本音で書かれています。

 

 

やはり、それぞれの本について単独エントリーを書くことができないと、内容の定着が弱いように感じます。

インプットした情報は、アウトプットされることで頭に残るように思うのです。

 

2月読んだ本の中でも、その中身についてたまたま人にベラベラと話す機会のあったものはよく覚えています。

こうして本の中身や、そこから考えたことをブログという形でアウトプットしているのは、「出すことで残す」ためでもあります。 

 

本を読むことよりも、読むことで得たものを生活に活かすことに意味があると僕は思っているので、3月はできるだけ本に関する単独エントリーを書きたいなーと思います。

 

3月も一週間が過ぎましたね、、、。

 

 

 

チャンチャン♪