Bunshuが歩く。

歩くように日々考えていること、思っていること。思いつき。

【Life】「シアワセ人生とは、ナットク人生」だと思う。

「幸せな人生って、どんな人生?」

 

なんて途方もないことを考えてみたことがあります。

3人くらいでプレゼンの練習会を催して、切磋琢磨していた学部3年生くらいのことです。

 

その時の考え、議論がベースとなり、僕の中でこういう人生が幸せな人生だろうという暫定的な自論を持っています。

 

「幸せな人生とは、死ぬときに今までの生き方に納得のいく人生である」

 

というものです。

 

 

 

1. 満足のいく人生、後悔のない人生が「幸せな人生」だと思っていた

僕は当初、「満足のいく人生」や「後悔のない人生」が幸せな人生だと考えていました。

僕は幸せになりたいので、あらゆることに満足いくように、どんなことでも後悔しないように生きていこうとしていました。

 

それ、できますか?

 

少なくとも僕はできませんでした。

時には満足のいかない結果に終わることもあるし、後悔なんて日々絶えることはありません。

確かに、自分の人生に満足できて後悔がなければ幸せです。

でも、現実的に考えてそんな生き方は無理だと判断しました。

 

つまり、僕は幸せな人生を「満足のいく人生」や「後悔のない人生」と定義することで、「幸せな人生」を送ることができていなかったのです。

 

そこで、僕は考え直すことにしました。

「幸せな人生」の定義は、僕にも今からでも達成できるものにしようと。

でないと、幸せになることはできないからです。

 

 

 

2. 不満足や後悔があっても受け入れる

僕は考えました。

人生において不満足や後悔が生まれることを止めることはできない、ならばどうしたらいいか?

 

それらを受け入れること。

 

というのが今の僕の暫定解です。

満足のいかない結果に対しても、後悔に対しても、「仕方ない」と思うことができれば受け入れられると思うのです。

 

どんなことに対しても「仕方ない」と思うことは、仰々しく言うと「運命を認め、受け入れる」ということですよね。

それは運命だから仕方ない、と。

 

でも僕は、運命だからとか、才能だからとか、頭が良いからとか、生まれ持ったものだけで決めてしまうのは好みません。

ある程度は努力や環境といった自分で磨いたり、選んだりできるもので結果を変えられると考えています。

 

なので、「どんな結果も受け入れる」という考えには合点が行きましたが、「ただただ受け入れる」という受け身の姿勢を認めることはできませんでした。

 

 

 

3. やることをやった上で、その結果を受け入れる

どんな結果も受け入れるが、受け身は嫌だ。

そんなわがままを叶える考え方、幸せな人生の定義はないかと探していました。

 

「納得のいく生き方をすること」

 

これなら、そんなわがままを満たすことができるのではないかと思い立ちました。

 

努力はする、その結果が望んでいたものならそれで良いですね。

そうでなくとも「できる努力はやったから仕方ない」と思うことができれば、不満足を受け入れることができるし、後悔することもありません。

 

やるだけのことはやった上での結果を、そのまま受け入れる。

それを表す言葉が「納得」でした。

 

 

 

4. 「ナットク人生」を過ごすには、「考えること」が必要

「幸せな人生とは、納得のいく生き方のできた人生だ」

という考え方が、今の僕には腑に落ちています。

スットンと。

 

では、そのような「納得のいく人生」を生きるにはどうすればよいのでしょうか。

一言でいうと、それは「考えること」だと思います。

 

「人生の岐路において選択を迫られたとき、自分の選択に納得するためにはどうしたらよいか」という視点で考えました。

その答えは、考えうる選択肢を吟味すること、つまり考えることです。

 

その過程では、インターネットや人脈を活かした情報収集や、世の中の動きを含んだ未来に対する予測、どんな人生にしたいかという価値観などに重きが置かれます。

 

人生における重大な選択の一つ就職を例に見てみます。

どんな仕事があるかをインターネットや情報誌で調べ、先輩や友達に話を聞く。

どんな世界になっていくかということを考える。

どんな生き方がしたいかを考える。

 

他にも挙げるときりがありませんが、このような過程を踏むと思います。

そして、「納得のいく選択」を取るわけです。

 

世の中のすべての仕事を調べることはできませんし、他人の話はあくまで他人のフィルターを通して語られるものです。

どんな人生にしたいという価値観も生きていくうちに変わっていくことでしょう。

 

したがった、自らの選択が常に、また永久に正しいということは決してなく、時には満足のいかないこともありますし、後悔もします。

しかし、納得のいく選択を取ることのできるように考えたあなたは「納得のいく選択」をしているはず。

 

なので、その不満足や後悔も受け入れることができます。

集めることのできる情報はすべて集めた。

信頼できる先輩の話だったから信用した。

当時はそのような人生を生きたいと思っていた。

だから、「仕方ない」。

 

 

 

人生は、選択に次ぐ選択の日々です。

 すべてのことに「納得のいく選択」をすることは不可能です。

僕はそう思っています。

 

しかし、たとえ納得のいく選択ができなくても、あの時の自分はそこまで頭が回らなかったと「納得」することができたら。

「過去の自分」を責めることなく、受け入れてやることができるのではないでしょうか。

 

また、自らがコントロールできる唯一の存在「現在の自分」についても、「納得のいく選択」をするように考えれば、「未来の自分」は幸せに思ってくれることでしょう。

 

そして最終的に、自分の人生が幸せだったかどうかを判断するときは、死ぬときだと僕は思っています。

 

だから僕は「幸せな人生とは、死ぬときに今までの生き方に納得のいく人生である」と思っています。

 

「納得のいく終わり」を迎えることができるように、日々「納得のいく選択」のために考えて、行動していきたいものです。

 

今の僕が思うには「シアワセ人生とは、ナットク人生」なわけですから。

 

 

 

チャンチャン♪