【Book・Life】人生は一回しかないので、本を読む。~「生涯を賭けるテーマをいかに選ぶか」を読んで~
人生は一度きりで、時間の流れはとめることができません。
なので、その瞬間の「選択」は一度しかできません。
「人生はやり直すことができる」というのもある点からみると事実であると思います。
がしかし、全く同じ状況が再び巡ってくることはあり得ないので、やはり選択は一度きりで、その選択の連続が人生にはつきものだと思います。
決断する前に「セーブ」して、気に食わない結果なら「セーブポイント」まで戻ったり、「リセット」して始めからやり直したりすることはできません。
結局、人生はやってみないと誰にもわからないのです。
やってみないとわからないからやってみたいけど、今この瞬間は一度しかないし、どれを選べば、、。
って思い悩んだ経験はありませんでしょうか?
「人生が二回あればなー」と思ったことはありませんでしょうか?
僕にはあります。
「一度きりの人生をいかに楽しく過ごすか」というテーマには興味があります。
人生が二回あればしたいことや、一つの人生で自分が二人いたら、ということもたまに考えます。
僕が考えたところで人生は一回という事実は変えようがありませんし、僕が二人になることもあり得ません。
なので僕は今この瞬間に行う「選択」に対する「納得度」を高めるという方法を「選択しています。
納得度を高める方法の一つとして「本を読むこと」があります。
やっと本の話です笑。
『生涯を賭けるテーマをいかに選ぶか』
この本の言うところのテーマは、(主に)「研究テーマ」です。
簡単に言うと、「研究者が明らかにしたいこと」です。
研究者が生涯のうちに明らかにできることというのは、科学全体から見るとほんのわずかなものです。
できることが限られているので、何に自分の人生を使うかがとても大事なのです。
(本当に明らかにできるか、も大事です)
それぞれの分野で名の通っている研究者たちを紹介し、彼らがなぜその分野で有名なのか、なぜそのテーマを選んだのかがこの本では述べられています。
(研究者だけでなく、作家さんも登場します)
テーマ選択の理由を探っていく上で、研究者たちの人生を追っていくことになります。
そのように人生の先輩の生き様を知ることこそ、人生において選択を迫られた際に、納得度の高い選択をすることに繋がるのではないかと僕は考えています。
自分にとって道の森(人生)を進むとき、すでにその先を歩いた人(人生の先輩)の話を聞くことで、選択肢の幅を広げたり、選択肢を吟味したりすることができるからです。
僕は「歴史」という教科にあまり興味を持ってきませんでした。
未来のことを考えるのが好きなたちで、起こってしまったことは変わらないから、考えても仕方ないと思っていました。
この本の著者は「おわりに」でこう述べています。
「たくさんの人生を知るということは、自分自身を豊かにすることです」
人生の先輩が歩いてきた道、過去・歴史を知ることで、未来の自分がより納得のいく選択ができるのではないかと思っています。
偉人伝という類の本はたくさんあります。
偉人伝と言わずとも、多くの本では著者の人生経験が語られています。
一度きりの人生、納得のいく選択を取るためにも、本を読んで、先輩たちの歩いた道を知りたいと思っています。
それがより納得のいく選択につながり、より幸せな人生を送ることにつながるといいなーと考えています。
チャンチャン♪
【Life】「シアワセ人生とは、ナットク人生」だと思う。
「幸せな人生って、どんな人生?」
なんて途方もないことを考えてみたことがあります。
3人くらいでプレゼンの練習会を催して、切磋琢磨していた学部3年生くらいのことです。
その時の考え、議論がベースとなり、僕の中でこういう人生が幸せな人生だろうという暫定的な自論を持っています。
「幸せな人生とは、死ぬときに今までの生き方に納得のいく人生である」
というものです。
1. 満足のいく人生、後悔のない人生が「幸せな人生」だと思っていた
僕は当初、「満足のいく人生」や「後悔のない人生」が幸せな人生だと考えていました。
僕は幸せになりたいので、あらゆることに満足いくように、どんなことでも後悔しないように生きていこうとしていました。
それ、できますか?
少なくとも僕はできませんでした。
時には満足のいかない結果に終わることもあるし、後悔なんて日々絶えることはありません。
確かに、自分の人生に満足できて後悔がなければ幸せです。
でも、現実的に考えてそんな生き方は無理だと判断しました。
つまり、僕は幸せな人生を「満足のいく人生」や「後悔のない人生」と定義することで、「幸せな人生」を送ることができていなかったのです。
そこで、僕は考え直すことにしました。
「幸せな人生」の定義は、僕にも今からでも達成できるものにしようと。
でないと、幸せになることはできないからです。
2. 不満足や後悔があっても受け入れる
僕は考えました。
人生において不満足や後悔が生まれることを止めることはできない、ならばどうしたらいいか?
それらを受け入れること。
というのが今の僕の暫定解です。
満足のいかない結果に対しても、後悔に対しても、「仕方ない」と思うことができれば受け入れられると思うのです。
どんなことに対しても「仕方ない」と思うことは、仰々しく言うと「運命を認め、受け入れる」ということですよね。
それは運命だから仕方ない、と。
でも僕は、運命だからとか、才能だからとか、頭が良いからとか、生まれ持ったものだけで決めてしまうのは好みません。
ある程度は努力や環境といった自分で磨いたり、選んだりできるもので結果を変えられると考えています。
なので、「どんな結果も受け入れる」という考えには合点が行きましたが、「ただただ受け入れる」という受け身の姿勢を認めることはできませんでした。
3. やることをやった上で、その結果を受け入れる
どんな結果も受け入れるが、受け身は嫌だ。
そんなわがままを叶える考え方、幸せな人生の定義はないかと探していました。
「納得のいく生き方をすること」
これなら、そんなわがままを満たすことができるのではないかと思い立ちました。
努力はする、その結果が望んでいたものならそれで良いですね。
そうでなくとも「できる努力はやったから仕方ない」と思うことができれば、不満足を受け入れることができるし、後悔することもありません。
やるだけのことはやった上での結果を、そのまま受け入れる。
それを表す言葉が「納得」でした。
4. 「ナットク人生」を過ごすには、「考えること」が必要
「幸せな人生とは、納得のいく生き方のできた人生だ」
という考え方が、今の僕には腑に落ちています。
スットンと。
では、そのような「納得のいく人生」を生きるにはどうすればよいのでしょうか。
一言でいうと、それは「考えること」だと思います。
「人生の岐路において選択を迫られたとき、自分の選択に納得するためにはどうしたらよいか」という視点で考えました。
その答えは、考えうる選択肢を吟味すること、つまり考えることです。
その過程では、インターネットや人脈を活かした情報収集や、世の中の動きを含んだ未来に対する予測、どんな人生にしたいかという価値観などに重きが置かれます。
人生における重大な選択の一つ就職を例に見てみます。
どんな仕事があるかをインターネットや情報誌で調べ、先輩や友達に話を聞く。
どんな世界になっていくかということを考える。
どんな生き方がしたいかを考える。
他にも挙げるときりがありませんが、このような過程を踏むと思います。
そして、「納得のいく選択」を取るわけです。
世の中のすべての仕事を調べることはできませんし、他人の話はあくまで他人のフィルターを通して語られるものです。
どんな人生にしたいという価値観も生きていくうちに変わっていくことでしょう。
したがった、自らの選択が常に、また永久に正しいということは決してなく、時には満足のいかないこともありますし、後悔もします。
しかし、納得のいく選択を取ることのできるように考えたあなたは「納得のいく選択」をしているはず。
なので、その不満足や後悔も受け入れることができます。
集めることのできる情報はすべて集めた。
信頼できる先輩の話だったから信用した。
当時はそのような人生を生きたいと思っていた。
だから、「仕方ない」。
人生は、選択に次ぐ選択の日々です。
すべてのことに「納得のいく選択」をすることは不可能です。
僕はそう思っています。
しかし、たとえ納得のいく選択ができなくても、あの時の自分はそこまで頭が回らなかったと「納得」することができたら。
「過去の自分」を責めることなく、受け入れてやることができるのではないでしょうか。
また、自らがコントロールできる唯一の存在「現在の自分」についても、「納得のいく選択」をするように考えれば、「未来の自分」は幸せに思ってくれることでしょう。
そして最終的に、自分の人生が幸せだったかどうかを判断するときは、死ぬときだと僕は思っています。
だから僕は「幸せな人生とは、死ぬときに今までの生き方に納得のいく人生である」と思っています。
「納得のいく終わり」を迎えることができるように、日々「納得のいく選択」のために考えて、行動していきたいものです。
今の僕が思うには「シアワセ人生とは、ナットク人生」なわけですから。
チャンチャン♪
【Life・Book】本当に座りたいときは座ればよくて、それ以外のときは立った方がいいと思うin電車。~「座らない」を読んで~
先月読んだ本でも、今月読む本でもない本についてです。
座らない
どストレートのタイトル「座らない」です。
人間の健康について大量の医学論文を読み込んだ著者が、その知見をもとに食事・睡眠・運動の3パートに分けて書いた本です。
常識を覆すことや、最近注目されている事柄が頻出し、健康に気を使いたい僕としてはとても面白い本です。
その中でも僕の私生活に取り入れて継続的に実践していることは、電車に乗るとき基本的に座らないことです。
1. 僕が座らないとき
電車に乗っているときは基本的に座りません。
立ったまま本を読んで過ごすことにしています。
2. 僕が座るとき
人と一緒にいるときは座ります。
僕が「立つ」と言うと相手が「なんで?」でなるかもしれないので、人といるときは相手に合わせて座ります。
席が一つしか空いていないときは、もちろん、理由を説明して譲ります。
また、ものすごい疲れているときも座ります。
まぁ、あんまりないんですけど笑。
睡眠不足で(あんまりないけど)、飲みすぎたとき(あんまりないけど)は座って眠ります。
3. 座らないことで得られる効果
僕はこの「電車では基本的に座らない」ということをかれこれ1年近く続けているように思います。
記録はしてないからわかりませんが。
足腰は強くなったし、それに依るものか疲れにくくなったように感じています。
それに、不毛な座席争いに巻き込まれる必要もないので、平穏無事に電車生活を過ごすことができます。
4. 本当に座りたいかどうか考えるのが大事
重要なことは「座る理由があって座っているのか、それを考えること」だと僕は思っています。
本当に疲れているときや座って作業したいときは、若者だって誰だって座ればいいんですよ。
「電車の中では基本的に立つ」ということを始めてから気になっていることがあります。
本当に座りたくて座っている人はどのくらいいるのだろうか。
「座るor座らない」という選択肢を吟味しているのだろうか。
考えた末、僕には基本的に座る理由がなく、立つ理由がある。
そして僕はこの生活に非常に満足しています。
チャンチャン♪
【Life】やたらめったら謝らない方がいい
謝るという行為は、無駄な軋轢をさけるために非常に良い方法だと思います。
しかしその一方で、これを多用することはいくつかの問題点もはらんでいるとも思います。
今日はそんな話を少し。
1. 謝るべきとき
僕は不必要に謝られることも、謝ることもあまり好きではありません。
本当に必要に迫られて謝るのは、もちろんOKです。
必要に迫られるときというのは、、、
a. 謝る側に過失があった場合
b. 謝っておいた方がその場がうまくいく場合
の二点だと考えています。
そして、それ以外の場合には謝らない方がいいと思っているわけなんです。
2. 謝らない方がいいワケ
やたらめったら謝らない方がいいと僕が思う理由は、自分にとってデメリットがあるからで、具体的には以下の三点です。
2-1. 相手をマイナスの気持ちにする
僕が「不必要に謝られること」が好きじゃない理由はまさにこれです。
相手に謝られたということは、自分に関わる何かが、あるいは自分自身が相手に「謝らないといけない」という気持ちにさせたということです。
「謝らないといけない」と思うことは、相手の気持ちの上でマイナスの感情だと思うのです。
少なくともプラスではありませんよね。
もし、相手の過失によってそのような状況になってしまったなら、仕方がないのですが。
そうでもない場合、自分が相手をマイナスにさせてしまったわけで、そう思うとこっちもマイナスな気持ちになってしまいます。
誰も幸せになりませんよね。
謝る必要もないのに、謝ってしまったことで、自分も相手もいい気がしないという状況を生んでしまうと僕は考えています。
2-2. 謝っておけばOKグセがつく
謝ることで、たいていのことは許されます。
きっと。
言ってしまえば、「謝れば許してもらえる」と思うことは自分の行為に保険を掛けることでもあります。
少しぐらい適当でいいも許してもらえるからいいやと。
そーゆー余裕がないと良いものができないことはわかりますが、そればっかりでもダメで、バランスが難しいわけで。
だから、不必要に謝るのはやめようと言っているのです。
謝るくらいならしなかったらいい、やるからには謝らないよってくらい自信のある行動をとるようにしたい、と僕は思っています。
2-3. 言葉の重みを忘れる
不必要な時にも謝る、必要な時にも謝る。
これでは、相手がいったい本心で謝っているのかどうかわからなくなりますよね。
そんなことをしているうちに、自分の口から出る言葉が持つ本当の意味を考えなくなってしまうと僕は思うのです。
「ごめん」を「ごめん」の意味で使わなくなる、ということです。
謝るときだけでなく、他の言葉も適当に使うので、心ここにあらずな状態で話すことになります。
当然、友人との会話の内容も覚えていないし、自分の話したことも忘れてしまう。
そんな人間を誰が信頼してくれるのでしょうか。
言葉を、その言葉が持つ意味として使い、その重みを感じることのできる人でありたいと僕は思っています。
先に書いたように、人間関係を円滑に進める方法として「謝ること」は非常に大事です。
大事だからこそ、大事な局面で意味を持つように使いたい。
「ごめん」という言葉が持つ意味を考え、本来の意味で使える人でありたいと思います。
チャンチャン♪
【Life】やたらめったら「保留」や「未定」を使わない。決断力が削られるから。
SNSが広がり、イベントを立てたり、仲間を集ったり、宣伝したりすることがしやすくなりました。
イベント参加の選択肢としては参加、未定、不参加の三択がポピュラーだと思います。
本当に予定が未定で、決断できないー、行きたいんやけどーってとき以外は「未定」あるいは「保留」のボタンを押さないことをお勧めします。
もしくは、「未定」にしていたとしても、最終的には参加か不参加か、どういう場合には参加か、などといった自分の意思をはっきり明示する方が良いとぼくは思っています。
なぜなら、「未定」でそのまま、判断を下さないまま放置することは自らの決断力をそぐことにつながると思うからです。
習慣というものは怖いもので、普段からそのように決断しない状態を当たり前にしていると、「決断しなくても特に気にならない」ことが常態化してしまうと僕は考えています。
日常から決断している人は、いざという時に決断することができる。
日常から曖昧な選択肢かしていない人は、いざという時も決断できない可能性が高いと思いませんか。
日ごとの自分の行動が、自分自身を作っていくと思うわけです。
日々精進。
チャンチャン♪
【Life】アイデアが降ってくる条件を知り、メモるか人に話すことで、それを活かす
以前のブログに書いていた内容です。
どんな時にアイデアが出てくるか、それを活かすにはどうしたらいいか、と考えていたことをまとめてみました。
1. アイデアが降ってくる三中
「三上」という言葉を知っていますか?
中国の昔の教えで、良い文章を考えるのに適した3つの場面のことを言います。
それらは馬上(ばじょう)・枕上(ちんじょう)・厠上(しじょう)。
それぞれ、移動中の馬の上、寝るときの枕の上、用を足しているときのトイレの上のことです。
僕はそれらを自分なりにアレンジして「三中」を大事にしています。
電車の中、布団の中、風呂の中です。
ほとんど一緒です笑。
僕は今までの経験として、トイレの中でアイデアを思いついたことはほとんどありません。
しかし、風呂の中はものすごい量のアイデアが浮かんでくるときがあります。
あったかいお湯によって血行が結構よくなり、頭に血液がたくさん流れるからでしょうか?
そのメカニズムはわかりませんが、経験上そうなのです。
2. 自分にとっての三上を見つける
偉い人の教えでも、それを鵜吞みにせず、その本質を自分に当てはめてみるというプロセスは非常に大事だと思っています。
三上の教えが、3つの場所でアイデアでるよーと言っているのはそうなのですが、もっと本質を掘り下げると、あなたにはアイデアの出やすい場所があるはず!と言っていると思うのです。
んで、それは人によって違うと思います。
自分の場合はどこでそのアイデアが出るのか?を考えてみることが必要です。
そして、僕の場合は上記の「三中」だったという話です。
3. 降ってきたアイデアを逃さないために
僕が三中にいるときに、アイデアがたくさん降ってきます。
しかし、人間は忘れる生き物です。
降ってきたアイデアをすべて覚えておくことはできません。
じゃあ、どうするのか?
メモります。
単純です。
3-1. 電車の中のメモ
まずは電車の中。
これはどこかへ出かけているときです。
こーいうときはたいてい鞄を持っています。
そして僕はカバンの中に常に黒ボールペンとメモ帳を入れています。
ぱっと思いついたアイデアを残してくためです。
また、スマホを利用することもよくあります。
僕はデフォルト以外ではスマホにほとんどアプリを入れていません。
その数少ないアプリの中でもメモアプリにはこだわりました。
さっとメモれて、あとで見直しやすいもの。
車内で思いついたことはボンボン放り込みます。
3-2. 布団の中のメモ
次に布団に入っているときです。
寝つきは悪くないほうですが、時として頭が回転しすぎて寝れないときがあります。
そして、そーいうときにアイデアが降ってくるときがあります。
枕元には常に黒ボールペンと紙を置いています。
寝ているときに一瞬起きて、書いて、すぐ寝るために、メモ帳ではなく、紙だけです。
メモ帳を開いて~ページをめくって~っていうプロセスをすっ飛ばします。
目が開いてない状態で書くこともあるからです。
3-3. 風呂の中のメモ
こいつが一番厄介です笑。
紙やスマホが使えません。
今時、防水の紙や防水ケースもありますが、いまのところそれらを使うまでには至っていません。
では、どうするのか?
記憶します。
これにはいくつかテクニックがあります。
アイデアが出てきたら、それに関することをどんどん派生させていきます。
木の幹が元のアイデアとしたら、そっから枝葉を伸ばしていくイメージです。
そうすることで幹のアイデアを忘れないようにします。
他には、出てきたアイデアの数を覚えておく、一文字目をつなげて覚える、それぞれのアイデアをつないでストーリーを作る、繰り返し暗唱する、声に出して言う、、、などがあります。
まだ、これ!といった一つに巡り合えていないのですが、そのアイデアもいつの日か降ってくるでしょう。
+α. 最強のメモ:人に話す
最後に、今の僕が考える「最強のメモ」を紹介しておきます。
なにが「最強」かというと、忘れない、すぐ引き出せる、発展するという点がすごいのです。
その最強のメモというのは、、、「人に話す」です。
何かしらアイデアを思いついたとき、僕は「思い付き」として、メッセージなどで人に送ってしまいます。
こうすることで、〇〇さんとそのアイデアが結びついて忘れにくくなります。
例えば、本に関するアイデアを本屋さんに「思い付き」として送ると関連付けされやすく忘れにくさがさらに強くなります。
さらに、このアイデアを引き出して再考するとき、〇〇さんとのやり取りをたどれば見つかります。
本のアイデアと本屋さんは結びついているので、あの人とのやり取りの中にあった!と思い出しやすいのです。
そして最後がもっとも重要なのですが、人にアイデアを話すことで自分の中でも整理されてまとまります。
さらに新しいアイデアに派生するかもしれません。
相手から何かしらのアドバイスやコメントをもらえることもあるかもしれません。
ただし、この方法で注意しなくてはならないことは、相手を選ぶことです。
そのアイデアと関連する人を選ぶこと、そのアイデア対して肯定的な人を選ぶこと、思い付きを送ることを喜んでくれる人を選ぶこと。
そのアイデアに関連した人でないと忘れにくさは強化されませんし、言ってみたアイデアに乗ってくれなかったら悲しいですし、そもそも思い付きを送ることを嫌がる人に送っちゃいけませんよね、、。
さらに、もし誰かから思い付きが送られてきたら好意的に受け止め、何かしらアドバイスやコメントを返してあげてください。
お互いにアイデアを交換し合える仲間がいたりするといいですね!
4. 面白きことは良きことで、面白いアイデアは良いアイデア
「アイデア」というと、新しい技術であるとか、画期的なものでないといけないと思う人もいるかもしれません。
アイデアという言葉の意味としては「考え」で、あなたが思うものはすべて「アイデア」と言ってしまえばアイデアなのです。
特に高尚なものである必要はありません。
僕がこないだ風呂の中で思いついたのも、みんなでホームパーティしよーや!みたいなアイデアでした。
そして風呂の中で何回も唱え、風呂をでるなり速攻友達に送信しました笑。
ただ何でもいいと言っても、ネガティブなものを人に伝えるのもなんなので、、。
僕は、自分が面白くて他の人にとっても面白いと思えそうものは何でも「アイデア」として人に伝えてみていいと思っています。
面白きことは良きことで、面白い考えは良いアイデアです。
チャンチャン♪
【Life】決断は早い方がいい。人生は短い。
僕には友達がいる。
その友達が言う「迷ったらGO!!!」
元をたどれば、この言葉は僕が彼に言った言葉だ。
僕はいつ、そんなことを言ったか覚えていない。
でも、確かに僕が大事にしている考え方の一つだ。
人生は短い。
いつ終わるかわからない。
あなたが25歳とする。
80歳まで生きたとしたら、1/3近く。
100歳まで生きるとしても、1/4すでに終わっている。
あなたが50才なら、人生の半分以上はもう終わっている。
やりたいことがあったら、早く始めよう。
人生は短い。
ささいなことでもいい、早く始めよう。
決断は早い方がいい。
僕が何歳まで生きるか、僕は知らないけれど。
やりたいことは今する。
人生は短いから。
迷っているヒマはない。
迷ったらGOだ。