Bunshuが歩く。

歩くように日々考えていること、思っていること。思いつき。

【Life】やたらめったら「保留」や「未定」を使わない。決断力が削られるから。

SNSが広がり、イベントを立てたり、仲間を集ったり、宣伝したりすることがしやすくなりました。

イベント参加の選択肢としては参加、未定、不参加の三択がポピュラーだと思います。

 

本当に予定が未定で、決断できないー、行きたいんやけどーってとき以外は「未定」あるいは「保留」のボタンを押さないことをお勧めします。

もしくは、「未定」にしていたとしても、最終的には参加か不参加か、どういう場合には参加か、などといった自分の意思をはっきり明示する方が良いとぼくは思っています。

 

なぜなら、「未定」でそのまま、判断を下さないまま放置することは自らの決断力をそぐことにつながると思うからです。

 

習慣というものは怖いもので、普段からそのように決断しない状態を当たり前にしていると、「決断しなくても特に気にならない」ことが常態化してしまうと僕は考えています。

 

日常から決断している人は、いざという時に決断することができる。

日常から曖昧な選択肢かしていない人は、いざという時も決断できない可能性が高いと思いませんか。

 

日ごとの自分の行動が、自分自身を作っていくと思うわけです。

日々精進。

 

 

 

チャンチャン♪

【Book】人はだをもとめる人 ~「震災風俗嬢」を読んで~

最近、いろんな意味で面白い本に出会ってて、ありがたい限りなのですが、その中でも新鮮な衝撃を受けた本を簡単に紹介します。

 

震災風俗嬢

 

 以前にも風俗嬢に関する本の感想を書きました。

yokkon.hatenablog.com

 

この「女子大生風俗嬢」という本も衝撃で、僕の知らない世界について書かれていました。

「夜の仕事だから」と偏見を持ってはいけないということを再認識し、夜の仕事をやっている側にもそれが救い担っている部分があるということを知りました。

 

そして今回、紹介する「震災風俗嬢」では、夜の仕事をやっている側とやってもらう側の双方に救いとなる部分があるということが書かれています。

 

2011年3月11日、東日本大震災による被害を受けた町で求められていたのは、「人肌の温もり」だったのかなぁと思いました。

まさか、風俗がその一端を担っていたとは思ってもいませんでした。

 

 

 

1. やっている側が求める人肌

夜の仕事に従事する人たちは、人によってはかなり早い段階から仕事に復帰していたようです。

 

その理由として、仕事があった方が安心できる、お客さんと話すことで自分自身も安らぐといったところです。

 

再開当初は営業時間を短くしていたらしいのですが、普段よりも多くお客さんが押し寄せたそうです。

そのお客さんたちの対応に忙しなく働くことで、気分が紛れたという人もいます。

 

また、震災によって仕事を失った人が少なくなかった時分に、自分を必要としてくれる人がいて、働き先があるということでかなり安心できたといいます。

 

さらには、被災した風俗嬢も自分よりも壮絶な経験談を聞くことで、時分ばかり落ち込んで入られないと思った人もいるみたいです。

 

理由は様々だが、「仕事には癒された」そうです。

そして、「この仕事には心の癒しを求めてくる人も多い」と感じているそうです。

 

 

 

2. やってもらう側が求める人肌

人肌に触れないと正気でいられない。

 

話を聞いてもらいたい、人肌に触れたいという思いでやってくる人はかなりいたようです。

それと当時、避難所生活をしていた人たちはお風呂が入れなかったのですが、ホテルではお風呂が使えたそうです。

 なので、ホテルでお風呂に入りに来て、ついでにサービスをお願いするという人も多かったようです。

 

他県から応援に来ていた作業員も疲れから、癒しを求める来ることもかなりあったようです。

 

話したりするだけでもかなりの癒しになったという人もいます。

 

 

 

3. 人肌がもたらすもの

僕は東日本大震災関連の活動として、福島県で「足湯」をしてきました。

マッサージや一緒におしゃべりもやってきました。

 

今まで書いてきたような触れ合いとは異なりますが、僕たちのやってきた活動も同じような癒しをもたらすことができていたのかもしれないと思うことができました。

 

人と人が触れ合い、話す。

それだけで、どこまで効果があるのかというのはあまりわかっていませんでした。

そして、風俗という仕事がそのような癒しをもたらしていることにも考えが及びませんでした。

 

やはり、何事も偏見を持たないようにしなければならないと改めて思いました。

世の中でタブーとされていたり、あまり表に出てこなかったりするところを知ることは大事でだなぁと感じました。

知らないと何にも言えない。

 

基本的に、風俗を利用するのは男の人だと思います。

男の人には、こうやって癒しを求める場所があった。

風俗で働いている人にも、癒しを感じる場所があった。

では、その他の女の人たちはどうだったのだろう、というのが今の僕の疑問です。

 

どこかで、そのようなことに言及した本に出会えたらいいなと思います。

 

 

 

チャンチャン♪

【おもいつ記】思いついたことを、とりあえずアウトプットしておくと良いことあるよ。きっと。

僕は、アイデアは降ってくるものだと思っています。

ふとした時に、「あ、これいいやん!」と思いついて、一人で盛り上がります。

 

yokkon.hatenablog.com

 

そして、その思いつきを忘れないようにメモしたり、人に話したりします。

このブログにも、僕の思いつきを記して残すことにしようかなと「思いつき」ました。

 

思いつきを残すので、「おもいつ記」と名付けようと思いつきましたので、とりあえず実行してみました。

イデアとしてまだまだ未熟で、考える余地はあるけど、とりあえず思いついたので残しておくといった感じです。

 

そーいったアイデアが、誰かのコメントとかで熟すこともあるので、コメント機能も使えるようにしました。

いろんな人の意見も聞けるなら、聞きたいし。

全部に返信するのは大変そうだし、かといって一部の人だけに返すのもあれだしなー、、、ってことで返信するかどうかは気分次第です笑。

ごめんなさい(先に謝っておく)。

 

ブログより気楽に書いてみます。

 

そんなこんなで「おもいつ記」を思いつきましたとさ。

【Book】いろんなことを8割くらいまで学ぶ。いつかそれらがつながるかもしれない。 ~「自分の時間を取り戻そう」を読んで~

「自分の時間を取り戻そう」を読んでシリーズのラストです!

この本の中で僕が一番おもろいなーと思ったことについて書きます。

 

「ひとつのことを深めすぎない」ということです。

んで、「いろんなことを8割くらいの出来で楽しむ」のです。

 

自分の時間を取り戻そう

 

 

 

1. 最後は苦しい学習曲線

「学習曲線」というものがあります。

ある物事を学ぶときに、最初はちょっと頑張っただけで得られる成果は大きいのですが、だんだんその成果が小さくなっていくことを示したものです。

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こんなんです。

横軸が学習に使った時間、縦軸が学習の成果です。

 

学習の生産性(使った時間に対する成果の割合)が途中までは大きいのですが、あるところからガクンと落ちてしまうのです。

その「あるところ」というのがだいたい、成果8割のところらへんで、そこまではいい。

けど、自分が本当に勝負したい分野以外はそれ以上行くのは「生産性が低い」と著者は言っています。

 

自分が本当に勝負したい分野なら続ける、そうでないならそこまでで止める。

今まで時間をかけてきたからという理由で続けない、ということです。

 

 

 

2. 8割くらいのとこまで、いろいろやってみる

そこで8割くらいまでなら、いろんなことに手を出してみましょう、というのは良いと思いました。

 

・8割までの高生産性学習を楽しむことができる

・自分が本当に勝負したいことを探すことができる

という点からです。

 

3. 8割の学習がいつか、つながるかもしれない

そして僕が思ったのは、自分の興味の中から8割くらいのできの物事をいくつか作っておくと、いつかそれがつながるんじゃないか、ということです。

 

僕は、料理が好きで、プレゼンが好きで、アウトドアが好きです。

そして、東日本大震災関連で東北でも活動してきましたし、関西でゴミ拾いとかもしてきました。

 

今、「アウトドアサークルSAMPO」というものをやっています。

SAMPOの活動では、アウトドア料理にも力を入れていきたいと思っています。

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アウトドアとプレゼンという一見変わった組み合わせもいいんじゃないってっことでやっちゃっています。

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SAMPOで東北での活動も視野に入れていますし、活動中のゴミ拾いもやります。

 

最初は気づかなかったのですが、「あれ、つながってるやん」と。

 

 

僕は、やりたいことがたくさんあって、いろいろやってきました。

何一つ「極めた!」とは言えないと思いますが、それらがつながって新しいものを生むことを実感しました。

 

 

 

高生産な学習で、自分の興味に合わせて様々なことを学ぶと、それらがつながって面白いものが生まれるかもしれません。

 

職人みたいにひとつのことを突き詰められる人はすごいなーと思います。

でも、いろいろやってみるのもいいんじゃない、と思います。

 

その考え方を後押ししてくれる本でした。

 

 

 

「自分の時間を取り戻そう」について複数回に分けて書いてきました。

長くなりすぎた感があるので、次からはもっとコンパクトに少ない回数で書きたいと思います。

 

この本に書いてあることの中から、「これは!」というものだけをピックアップしましたが、他にも良いなーと僕が感じたことはたくさんありました。

あと、実際の本の内容から受けるインパクトは、著者以外の人が書いたことから受けるそれとは全く別物だと思います。

興味がわいた方は、ぜひ実物を読んでみてください。

 

 

 

チャンチャン♪

 

【Book】低価値の仕事を時間を決めて片付け、高価値の仕事に集中する ~「自分の時間を取り戻そう」を読んで~

今回を含めて、残すところあと2回となっている「自分の時間を取り戻そう」を読んで僕が思ったことシリーズです。

 

自分の時間を取り戻そう

 

今までの記事。

yokkon.hatenablog.com

yokkon.hatenablog.com

yokkon.hatenablog.com

 

 

 

1. 価値のあることだけやる

自分の時間を取り戻すために、「すべてのことをやらない!」というお話が出てきます。

価値のあることだけを自分でやって、他はもっと得意な人に外注するのが良いね、と書かれています。

 

 

 

2. 高価値の仕事を先にやる

そして、自分の仕事においても高価値のあることを先にやって、満足いくところまでやる。

残った時間で低価値の仕事をやる。

ということが勧められています。

 

「高価値の仕事」は時間をかければ終わるというものではないので、先にやるのです。

 

残された時間で「低価値の仕事」をやるのですが、もし終わらなかったら、それでもOKだそうです。

それは低価値の仕事だから。

 

 

 

3. 高価値の仕事を後にやる

ただ、僕は「高価値の仕事を後にやる」のもいいんじゃない、と思っています。

 

「高価値の仕事を先にやる」場合は、残った時間で終えられなかった低価値の仕事はあきらめてしまおう。

と書いてあると言いました。

そうできる人なら良いですが、そうできない人は結構いるんじゃないかなと感覚的ですが、僕は思いました。

 

そこで、本書に書かれていることとは真逆ですが、「高価値の仕事を後にやる」パターンを紹介します。

 

 

3-1. 低価値の仕事を時間を決めてやる

低価値の仕事は時間をかければ終わる仕事であることは僕も同意です。

なので、最初に時間を決めて、集中して終わらせてしまいます。

この時は、ちょっと「むりだなー」くらいの時間を設けておいて、集中して(高生産で)片付けていきます。

 

 

3-2. たっぷりの時間を残して、高価値の仕事をやる

残りの時間を多めに設定しておいて、高価値の仕事を余裕をもってやりましょう。

 

この方法の良いところは、「高価値の仕事」に集中できることです。

「高価値の仕事を先にやる」場合では、残っている低価値の仕事が気になってしまって、高価値の仕事に集中できないということがあるのではないかと思ったからです。

 

終わらなかった低価値の仕事を忘れられる人はいいけど、そうじゃない人も多いと思います。

なので、先に片付けてから、頭を空っぽにして高価値の仕事に挑みましょう、ということです。

 

さらに、高価値の仕事はたぶん「頭の使う仕事」で、ずっとやることは出ないと思います。

高価値の仕事を始めて、疲れてきたら帰るようにすると、そんなに遅い時間にならないんじゃないかなーと。

 

このやり方で重要なのは、低価値の仕事にかける時間は短めに設定することです。一日のうち2時間以上かけたらダメじゃないですかね。

だぶん。

 

 

 

4. 高価値の仕事の休憩に低価値の仕事をする

もう一つ僕がよくやる方法は、高価値の仕事を優先的に進めて、疲れた時に低価値の仕事をこなすという方法です。

 

低価値の仕事というのは、頭を使わない作業的なものが多いと思います。

言ってしまえば適当にやってても終わるもんです。

 

なので、休憩がてら低価値の仕事をやっても終わってしまうもんです。

 

この方法では、だらだら休む時間がなくなるので、自分の時間を有効に使うことができ、同じ仕事の量でも、比較的早く片付けることができるというのが僕の実感です。

 

 

 

というわけで、著者とは違う方法を提案してしまったわけですが、、、

やっぱり僕には、「低価値の仕事を後回しにして、終わらんかったら忘れる」ということができそうにありません。

なので、上記の2つの方法(3.か4.)、いずれかで生産を上げようかなと思います。

 

「物事に優先順位をつけて、自分が得意なことをやる、他の人の方が得意なことはその人に任せる」というのは同意です。

 

他人に任せることのできない自分に割り当てられた仕事のうち、高価値・低価値の仕事をするうえで、上記3パターンの方法、どれが自分に合うか考えてみるのもいいんじゃないでしょうか??

他の良いパターンがあれば教えてください!

 

 

 

チャンチャン♪

 

 

 

 

【Life】アイデアが降ってくる条件を知り、メモるか人に話すことで、それを活かす

以前のブログに書いていた内容です。

どんな時にアイデアが出てくるか、それを活かすにはどうしたらいいか、と考えていたことをまとめてみました。

 

 

 

1. アイデアが降ってくる三中

「三上」という言葉を知っていますか?

中国の昔の教えで、良い文章を考えるのに適した3つの場面のことを言います。

それらは馬上(ばじょう)・枕上(ちんじょう)・厠上(しじょう)。

それぞれ、移動中の馬の上、寝るときの枕の上、用を足しているときのトイレの上のことです。

 

 

僕はそれらを自分なりにアレンジして「三中」を大事にしています。

電車の中、布団の中、風呂の中です。

ほとんど一緒です笑。

 

僕は今までの経験として、トイレの中でアイデアを思いついたことはほとんどありません。

しかし、風呂の中はものすごい量のアイデアが浮かんでくるときがあります。

あったかいお湯によって血行が結構よくなり、頭に血液がたくさん流れるからでしょうか?

そのメカニズムはわかりませんが、経験上そうなのです。

 

 

 

2. 自分にとっての三上を見つける

偉い人の教えでも、それを鵜吞みにせず、その本質を自分に当てはめてみるというプロセスは非常に大事だと思っています。

三上の教えが、3つの場所でアイデアでるよーと言っているのはそうなのですが、もっと本質を掘り下げると、あなたにはアイデアの出やすい場所があるはず!と言っていると思うのです。

んで、それは人によって違うと思います。

自分の場合はどこでそのアイデアが出るのか?を考えてみることが必要です。

 

そして、僕の場合は上記の「三中」だったという話です。

 

 

 

3. 降ってきたアイデアを逃さないために

僕が三中にいるときに、アイデアがたくさん降ってきます。

しかし、人間は忘れる生き物です。

降ってきたアイデアをすべて覚えておくことはできません。

じゃあ、どうするのか?

 

メモります。

単純です。

 

 

 

3-1. 電車の中のメモ

まずは電車の中。

これはどこかへ出かけているときです。

こーいうときはたいてい鞄を持っています。

そして僕はカバンの中に常に黒ボールペンとメモ帳を入れています。

ぱっと思いついたアイデアを残してくためです。

 

また、スマホを利用することもよくあります。

僕はデフォルト以外ではスマホにほとんどアプリを入れていません。

その数少ないアプリの中でもメモアプリにはこだわりました。

さっとメモれて、あとで見直しやすいもの。

車内で思いついたことはボンボン放り込みます。

 

 

3-2. 布団の中のメモ

次に布団に入っているときです。

寝つきは悪くないほうですが、時として頭が回転しすぎて寝れないときがあります。

そして、そーいうときにアイデアが降ってくるときがあります。

 

枕元には常に黒ボールペンと紙を置いています。

寝ているときに一瞬起きて、書いて、すぐ寝るために、メモ帳ではなく、紙だけです。

メモ帳を開いて~ページをめくって~っていうプロセスをすっ飛ばします。

目が開いてない状態で書くこともあるからです。

 

 

3-3. 風呂の中のメモ

こいつが一番厄介です笑。

紙やスマホが使えません。

今時、防水の紙や防水ケースもありますが、いまのところそれらを使うまでには至っていません。

では、どうするのか?

 

記憶します。

これにはいくつかテクニックがあります。

 

イデアが出てきたら、それに関することをどんどん派生させていきます。

木の幹が元のアイデアとしたら、そっから枝葉を伸ばしていくイメージです。

そうすることで幹のアイデアを忘れないようにします。

 

他には、出てきたアイデアの数を覚えておく、一文字目をつなげて覚える、それぞれのアイデアをつないでストーリーを作る、繰り返し暗唱する、声に出して言う、、、などがあります。

まだ、これ!といった一つに巡り合えていないのですが、そのアイデアもいつの日か降ってくるでしょう。

 

+α. 最強のメモ:人に話す

最後に、今の僕が考える「最強のメモ」を紹介しておきます。

なにが「最強」かというと、忘れない、すぐ引き出せる、発展するという点がすごいのです。

 

その最強のメモというのは、、、「人に話す」です。

 

何かしらアイデアを思いついたとき、僕は「思い付き」として、メッセージなどで人に送ってしまいます。

こうすることで、〇〇さんとそのアイデアが結びついて忘れにくくなります。

例えば、本に関するアイデアを本屋さんに「思い付き」として送ると関連付けされやすく忘れにくさがさらに強くなります。

 

さらに、このアイデアを引き出して再考するとき、〇〇さんとのやり取りをたどれば見つかります。

本のアイデアと本屋さんは結びついているので、あの人とのやり取りの中にあった!と思い出しやすいのです。

 

そして最後がもっとも重要なのですが、人にアイデアを話すことで自分の中でも整理されてまとまります。

さらに新しいアイデアに派生するかもしれません。

相手から何かしらのアドバイスやコメントをもらえることもあるかもしれません。

 

ただし、この方法で注意しなくてはならないことは、相手を選ぶことです。

そのアイデアと関連する人を選ぶこと、そのアイデア対して肯定的な人を選ぶこと、思い付きを送ることを喜んでくれる人を選ぶこと。

 

そのアイデアに関連した人でないと忘れにくさは強化されませんし、言ってみたアイデアに乗ってくれなかったら悲しいですし、そもそも思い付きを送ることを嫌がる人に送っちゃいけませんよね、、。

 

さらに、もし誰かから思い付きが送られてきたら好意的に受け止め、何かしらアドバイスやコメントを返してあげてください。

お互いにアイデアを交換し合える仲間がいたりするといいですね!

 

 

4. 面白きことは良きことで、面白いアイデアは良いアイデア

「アイデア」というと、新しい技術であるとか、画期的なものでないといけないと思う人もいるかもしれません。

イデアという言葉の意味としては「考え」で、あなたが思うものはすべて「アイデア」と言ってしまえばアイデアなのです。

特に高尚なものである必要はありません。

 

僕がこないだ風呂の中で思いついたのも、みんなでホームパーティしよーや!みたいなアイデアでした。

そして風呂の中で何回も唱え、風呂をでるなり速攻友達に送信しました笑。

 

ただ何でもいいと言っても、ネガティブなものを人に伝えるのもなんなので、、。

僕は、自分が面白くて他の人にとっても面白いと思えそうものは何でも「アイデア」として人に伝えてみていいと思っています。

 

面白きことは良きことで、面白い考えは良いアイデアです。

 

 

 

チャンチャン♪

【Fiction】詩をよむウサギ

 

 「さっちゃん」は優しい。今日も私のことを思ってくれている。

 

 

 

 とある町のとある一軒家の玄関、私は小さな籠の中で暮らしていた。私の家は小さくて、ご飯の入れ物、トイレがあって、私が動けるスペースは限られていた。けど、私は幸せ。だって優しい「さっちゃん」がいるから。

 

 私はウサギ。野生のウサギは野原を駆け回ると聞いたことがあった。私は生まれてこの方、たいてい籠の中で暮らしていた。けど、私は幸せ。だって優しい「さっちゃん」がいるから。

 

小さいときはペットショップで暮らしていた。私以外にもいろんなウサギとか、鳥さんとか、犬さんや猫さんもいた。そこにはたくさんお友達がいた。このおうちで、ウサギは私だけ。みんなもいない。けど、私は幸せ。だって優しい「さっちゃん」がいるから。

 

基本的には籠の中で日々を過ごすけど、一日に一度だけ外に出ることができた。お散歩の時間だ。私はこの時が大大大好きだった。はしゃぐあまり頭をぶつけることもあった。狭いところが好きだから、棚の下に潜り込むこともあった。ホコリまみれになった。こんな時は、優しい「さっちゃん」に怒られた。怒りながらホコリを取ってくれた。そんな優しい「さっちゃん」は私の誇り。

 

 

 

さっきも言ったけど、もっと小さかったころ私はペットショップと呼ばれるところでおじさんとお友達と暮らしていた。今と同じようにご飯もあるし、お水もある。仲間もいるし、楽しかった。

 

そんな私に、毎日毎日会いに来てくれる人がいた。「さっちゃん」だった。

 

「さっちゃん」はいつも一人だった。いつもお空が暗くなる前くらいにやってくる。私の暮らしている籠の前に立ち止まり、私を見た。私も「さっちゃん」を見た。「さっちゃん」の目はいつもキラキラしていた。こんな目をしている人を、私はペットショップで見たことがなかった。おじさん以外に。

 

 

 

そんなある日、「さっちゃん」が大人の人を連れてきた。「さっちゃん」によく似た人だと思った。あとからわかったんだけど、「さっちゃん」のお母さんだった。

 

私はお母さんを知らない。気づいた時には一人だった。友達はいっぱいいたけど、お母さんはいなかった。だから私は一人だった。

 

「さっちゃん」のお母さんとペットショップのおじさんが話をしていた。「さっちゃん」の目はいつもよりいっそうキラキラしていた。「さっちゃん」は私を見ている。

 

しばらくして、私は別の籠に移された。そして「さっちゃん」が嬉しそうにその籠をつかんだ。ペットショップのおじさんが私に話しかけた。「いってらっしゃい。元気でね」。

 

なんでかわからない。なんでかわからないけど、私はちょっぴり悲しかった。おじさんも悲しそうだった。けど、「さっちゃん」は嬉しそうだった。

 

 

 

その日から、新しい籠の中での生活が始まった。今まで通り、毎日「さっちゃん」が会いに来てくれた。けど、今までと違うの同じおうちにいること。だから一緒にいる時間も今までより、うんと長い。

 

朝早く「さっちゃん」はどこかへ出かける。学校というところに行くらしい。

 

私はウサギ。ウサギは夜行性。夜の方が好きだ。朝はどちらかというと、まだ元気なほう。だって朝と夜はとなり合わせだから。お昼は眠い。だって昼は夜と背中合わせだから。夕方になると元気が出てくる。だって夕方は夜ととなり合わせだからね。

 

私は夜行性でよかったと思っている。だって「さっちゃん」と一番長く遊べる時間が一番元気だから。一番大切な時間だから。もし私が、お昼は元気で、夜は眠たくなるウサギだったら、「さっちゃん」との時間をめいいっぱい楽しむことができなかったかもしれない。だから私は誰かさんに感謝している。ウサギを夜行性にしてくれてありがとうって。

 

 

 

夕方くらいになると「さっちゃん」がおうちに帰ってくる。いつも私の籠に顔を近づけて「ただいま」をしてくれた。私も心の中で、大きな声で「おかえり」と叫んだ。

 

「ウサギは鳴かなくていいね」という人がいる。確かに、ウサギは鳴かない。鳥さんや犬さん、猫さんみたいには。けど、ウサギだってたまには鳴きたい時がある。そんなときは鳴かしてほしい。基本的には、腹の底から怒った時くらいだけど。

 

私が「おかえり」と言いながら、「さっちゃん」の方に近寄ると、「さっちゃん」は頭をなでてくれた。これが私にとって最高のひと時だった。そしてその時の「さっちゃん」も本当に幸せそうな顔をしていた。

 

「さっちゃん」も私も、生物学的には「雌」と言うらしい。ペットショップにいるとき、物知りのネズミさんが教えてくれた。雌の私にとって、「さっちゃん」は同性と言うらしい。生物学的には同性間の両想いは不思議なんだって。「だって二人の遺伝子を残すことができないじゃないか」とそのネズミさんはむつかしいことを言う。

 

遺伝子が何なのか私は知らない。そんな私は言った「世の中は不思議なことだらけ。一つくらい不思議なことが増えても誰も怒らないんじゃないかしら」。「いいね!」ネズミさんは答えた。これがネズミさんの良いところだ。自分の考えを持っている。けど、その考えを押し付けたりはしない。誰かの意見を否定しない。反対意見をいう時もかならず「いいね!」で始める。けど、「さっちゃん」と私は紛れもなく両想いだ。触れ合っている時の二人の顔が何よりの証拠だ。あの幸せは嘘ではなかった。いや、嘘ではない。

 

 

 

私は恋を知らない。話に聞いたことはあるけれど、どんなものかよくわからない。すごく楽しいもので、時にすごく辛いものらしい。むつかしい。それが原因で争いごとが起こることもあるらしい。いろんな人や、その他の動物が求めるそれは、きっととびっきりおいしいに違いない。私もいつか味わってみたい。

 

私は愛を知っている。「さっちゃん」と私の間にあるもの。目には見えないけれど。「さっちゃん」は私にそれを注いでくれるし、私も「さっちゃん」にそれを注ぐ。もう、これでもかってくらい。目には見えないけれど。

 

 

 

そんな私が一度だけ、病気になったことがあった。なんだか体がポカポカして、景色がぼやけて見えていた。しんどかった。けど、「さっちゃん」を心配させてはいけないと思った。大好きだから。「さっちゃん」に気付かれてはいけないと、隠していた。

 

「さっちゃん」が学校に行っている間に、私はしんどくなってついに倒れてしまった。横向けにバタリと。おうちにはたまたま、お母さんがいた。倒れている私に気付いたお母さんが慌てて電話を取った。そこまでは覚えている。

 

見たこともない部屋にいた。真っ白な服を着た人が私の横に立っていた。一瞬、チクリと痛い思いをした。けど、その後すぐに気持ちよくなって眠ってしまった。

 

目が覚めたら、おじさんのところにいた。ペットショップのおじさんのところだ。仲良くしていたお友達はほとんどがいなくなっていた。その日、私は「さっちゃん」に会うことができなかった。

 

 

 

次の日、「さっちゃん」とお母さんが迎えに来てくれた。「さっちゃん」の目はいつもの目じゃなかった。キラキラはしていた。けど、いつものキラキラとはちょっと違った。なんだか鼻のあたりがツンとした。

 

その日、「さっちゃん」は遊んでくれなかった。けど、それは「さっちゃん」の優しさだと私はわかっていた。「さっちゃん」は優しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さっちゃん」は優しい。それは紛れもない事実だ。誰が何と言おうとそれは事実だ。私が保証する。

 

優しい「さっちゃん」が遊んでくれなかったのは「あの日」だけだった。それから毎日、私は優しい「さっちゃん」と遊んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

優しい「さっちゃん」も大人になった。とてもお母さんに似てきた。

 

今、優しい「さっちゃん」は、私たちのおうちにはいない。一人暮らしというやつをしているらしい。

 

それでも、「さっちゃん」は優しい。私のことをときどき思い出してくれている。そして目をキラキラさせている。どちらかというと、「あの日」私を迎えに来てくれた時のように。

 

 

 

私はウサギ

籠の中で暮らしてる

けど、私は幸せ

 

私はウサギ

お友達と離れ離れ

けど、私は幸せ

 

私はウサギ

サヨナラおじさん

けど、私は幸せ

 

私はウサギ

よろしく「さっちゃん」

そう、私は幸せ

 

私はウサギ

お昼は眠たい

けど、私は幸せ

 

私はウサギ

頭をなでてもらえる

だから、私は幸せ

 

私はウサギ

恋は知らない

けど、私は幸せ

 

私はウサギ

愛なら知ってる

だから、私は幸せ

 

私はウサギ

おかえり「さっちゃん」

あなたは幸せ?

 

私は幸せだったよ

優しい「さっちゃん」

 

 

 

fin.