Bunshuが歩く。

歩くように日々考えていること、思っていること。思いつき。

【Fiction】ヒマワリ


ヒマワリ、向日葵。キク科の一年草。北アメリカ原産。夏、直径二十センチメートルもの大形の黄色い頭花を開く。太陽を追って花が回るという俗説もあるが、実際にはほとんど動かない。

 

 


僕はヒマワリが好きだ。ヒマワリは一途だ。大好きな太陽さんの方をずっと見ている。周りの目なんか気にしない。なんてヤツだ。人前で話すのが苦手、自分の気持ちを上手く伝えることのできない僕にとって、その姿がまぶしかった。いや、正確には上手く伝えることの「できなかった」かな。あれから十年以上、人見知りがひどかった僕も大学の授業でプレゼンテーションを(文字通り)こなし、合コンにも(脇役として)参加している。「とても上手く」とまではいかなくても、「まぁまぁ上手く」自分の気持ちを伝えることができるようにはなった。人間、やればできるものだ。どっかの大統領は正しかった。 ”Yes, we can.” そう、私たちにはできる。今までに姫君とお付き合いをさせて頂き奉ったことも、何度かある。心から御礼申し上げる。


他の誰かや、車や馬車に引かれるのは困るが、自分でも引くくらいヒマワリが好きだ。小学校の図工の時間、中高の美術の時間、授業中の落書き、何かにつけてヒマワリを描いていた。夏休みの自由研究では、ヒマワリをテーマに賞状をもらったこともある。お酒のあてにはヒマワリの種。しまいには観覧車をヒマワリ、クレヨンし〇ちゃんの妹も「ひ〇わり」と呼ぶ始末だ(「そりゃ、そうじゃ」とオー〇ド博士よろしく突っ込んでほしい)。この気持ちは、ゴッホおじさんにも負けやしない。ハ〇太郎もリ〇ちゃんも、コ〇シ君だって相手にならない。我が家の裏にある日当たりのよい空き地には、大きな大きなヒマワリがその花をビンッと開いている。両手をいっぱいに広げて、「私はここにいるよ」と太陽さんにアピールしているみたいだ。
「ねぇ、こっちを見て。私、ここで待ってる」
ニッコリと、今日もご機嫌である。


そのヒマワリが初めて咲いたのは小学校三年生のころ。自分で種をまいたことも忘れかけていたころだった。ヒマワリの種を僕にくれたのは、君だった。

 

 


学校が終われば、いつも君と遊んでいた。日が暮れるまで。ホントは日が暮れても君と一緒にいたかった。けど、親が許してくれそうになかったし、
「おとこのくせに」
と、君に笑われる気がしていた。僕は「男」として見られるのが嫌いだ。僕が男であることは一ミクロン(一ミリの千分の一)の間違いもない事実で、あるべき所にそれはあって、元気に与えられた役割を全うしているのだけれども。「男」というカテゴリにまとめられるのがどうも気に入らない。
「自分がされて嫌なことを、他人(ひと)にしてはいけません」
ママも、先生もそう言う。だから僕も他人をカテゴリ分けしない。僕は、少なくとも女としてではなく、君を君として見ていた。君として見ている。

 

 


君は僕のお隣さんだった。幼馴染みで、お隣どうし。幼稚園の頃から、太陽が出ている時間はずっと一緒だった。いつも笑顔がまぶしい君が、ある日マジメな顔して言った。
「ねぇ、あたしね。あした、おとなりまちに、おひっこしするの」
いつもの帰り道。二人で毎日、登場したばかりの色白で少し恥ずかしそうな月を見て歩いた。君は天文学が好きで(もっとも、当時の僕たちは「天文学」という言葉を知らない)、「宙(そら)ガール」の先駆け的存在だったのだなあと今にして思う。あの頃からすでに君はセンスの良い女性だった。その夜、僕らの上にはいつものように空があり、月の形についてあーだこーだ言い合っていた。だけどその日の月がどんなだったか、僕はよく覚えていない。自分から忘れたかったのかもしれない。まるであの日はなかったかのように。そしてずっと君と一緒にいられますように、と。


とはいっても、お引越しするとどうなるのか。お隣どうしには変わりないよな。よく理解できていなかった僕は翌朝、いつも通り学校へ向かって家を出た。学校が終わり、いつも通り一緒に遊ぶために下駄箱で君を待つ。いつもは一緒にランドセルをしょって教室を出た。けど「いつも」は実はいつも「いつも」ではなくて、いつまでも「いつも」ではなくて(永遠はいつまでも永遠ではなくて、ママが誰にとってもママでないのと同じ)。君と僕は今年からクラスが違う。残念がる僕に向かって君が言った言葉を今も覚えている。
「ねぇ、しってる? あえないじかんが愛をそだてるのよ」
だから少しくらい離れていても僕は気にしない。今、こうしている間もすくすく育っているのだから。(てか、愛ってなんだ?)


待ち合わせの時間になっても下駄箱に現れなかったら、近くの公園に先に行く。それが僕と君だけの秘密の約束。待ちきれなくなった僕は一人、いつもの公園へ向かった。そしてまた君を待つ。愛が育つ(いや、愛ってなんだ?)。なかなか、なかなか、なかなか君は来ない。空はだんだんとオレンジ色に染まっていき、やがて深い藍色になった。今日は月がきれいだ。君と月の話がしたい。次の話はこれにしよう。話のトピックまで決めて待ったが、君は来ない。愛は育っているのか(そうか、これが愛なんだ)。ここで初めて、お引越しの意味を少しだけ理解した。ような気がした。気が付けば僕の両足は前へ前へと、僕の体を進めていた。


君の家、つまり僕の家の隣までの最後の角を曲がったとき、車に吸い込まれていく君の横顔を見た。こんな時だというのに、息が切れて声が出ない。あと少し。車ってやつはいじわるだ。追いかける僕をちらりとも見ずに走り出した。いくら僕でも車に追い付けないことくらいわかっている。それでも足が止まろうとしない。僕の足はバカだ。持ち主に似たのかもしれない。バカはバカなりに良いことがある。今ここは火事場ではないが、バカには「バカ力」というやつがあるようだ。やはりバカ足の持ち主はバカだった。この際、バカでもアホでもなんでもいい、同じ阿呆なら踊らにゃ損々。出ないはずだった声を振り絞った。夜風を取り込むために開け放たれていた窓に、僕は心の底から、これでもかってくらい感謝している。ありがとう。夏でよかった。君は夏がよく似合う。気が付いた君がこっちを振り向いた。慌てて僕は手を振った。サヨナラのつもりではなかった。それでも手を振った。君も手を振り返し、小さな粒をいくつか投げた。少し大きめの涙の粒にも見えた。車が見えなくなったあと、僕はその涙の粒を三つ拾い上げた。ヒマワリの種だった。
「ねぇ、きいて。あたしね、おはなのなかで、ヒマワリがいちばん好き」


なんで君はあの時、ヒマワリの種を持っていたのか。僕を待っていたのか。渡そうと思っていたのか。最初のうちは大事に育てた。三つのうち、二つが芽を出した。そこまでは、大事に育てた。自由に研究していたから。そして薄情な僕が、新しく楽しい記憶で脳みそをいっぱいにしていたころ、一つだけが花を咲かした。そのヒマワリは今でも太陽さんの方を一途に見ている。僕にとって国語辞典は固めの枕だ。吾輩の辞書は、吾輩自身だ。ヒマワリは曇りの日も、太陽さんを待っているんだ。僕は君を待っているんだ。

 

 


明日は成人式。朝早く起きなければならない女の子たちはさっさと眠ってしまっていることだろう。君も眠りについているだろうか。きっとヒマワリよりも綺麗になっているだろうな。


ヒマワリ、向日葵。キク科の一年草。北アメリカ原産。夏、直径二十センチメートルもの大形の黄色い頭花を開く。

好きなものを一途に見ている花、待っている花。

 

 


Fin.